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本屋さんは私にとってテーマパークだった!

いつからかはわからない。
私の中で、本はなくてはならないものだ。

小学生になり、自由に学区内をウロウロできるようになった頃、私はよく本屋さんにいっていた。よく行っていた近所にあった書店は、街の本屋さんという小さなものではなく、小説の列、参考書の列、雑誌の列など分かれているような中規模な書店だった。

そこに、飽きもせず毎日のように通っていた思い出が蘇る。

最初にしっかり読んでしまった(最後まで全部読んだ本)が何だったのかは全く覚えていないのだけれど、低学年の頃に読んでいたのは、伝記や冒険ものが多かった。覚えているのは「江戸川乱歩シリーズ」女子なのに、渋い。。図書館にあるのをズラ〜と読んでいた。

そして、小5くらいの時から、お小遣いを握りしめて、本屋で好きな本を自分で選ぶようになってからは、小説ばかり。コバルト文庫やティーンズハートなどなど。

その時、将来の夢はとじいちゃんに聞かれて「大学生になる!」と言ったら喜んでくれていたけれど、きっとあの頃「大学生になったら、デートとかして楽しいキャンパスライフを送りたい!」という願望があった気がする。

まだインターネットなんてない時代。まさに私にとって本屋はテーマパークさながら。新しい出会いが満載の場所だった。

そして小説のストーリーを頭の中で想像し、大人になれば、それが実現すると思っていたなんて・・ほんとにかわいい思い出。

その時の影響は大きくて、憧れの大学生になり、初めて東京に行った時に一番に行きたいと思ったのは代官山。それは、小説の中で代官山でのショッピングやデートがよく描かれていたからだ。

その後何十年後かに、まさか、代官山に出張で毎月福岡から通ったり、ましてや代官山に歩いて行ける距離に住むなんてことになるとは知らず。片っ端からお店を巡り、自分の誕生日プレゼントを何にしようかと初めての東京で興奮していた自分の姿が初々しく、小中のときの本からの影響が末長く続いていることに驚いてしまう!

よくよく振り返ってみると、友達や親に悩みを打ち明けて相談するよりも、本の中に、答えを探していたことが多かったように思う。

経験したことのない、小説の中の世界に。エッセイや雑誌の中でふと目に留まった言葉たちに幾度となく助けれてきた気がするのだ。

・・・

私にとって本屋さんは、いまだ、自分を知るためのところ。並べてある本や雑誌を眺めながらぐるぐると歩いていると、手に取りたくなる本との出会いがある。

「あ、いま、私このことに関心があるんだ!」

とその時に、ようやく気づくのだ。

・・・

私にとって本屋さんは、待ち合わせの場所であり、旅先でその街の本屋さんをわざわざ覗いてみる場所であり、悩みを解決する場所でもあり、明日の勇気をもらう場所でもあるのだ。

・・・

だからかな?

便利なAmazonでは、本を買いたいとは思わない。
ふと立ち寄った時に、偶然出会う本。手にとってパラパラめくっているうちに連れて帰りたくなる本。この本いま買わないときっと後悔すると思う本。
いつもそんな感じで本を購入する。

そして、寝るのも忘れて夜通し読み耽ってしまうひとときがなんとも至福の時。先を先をと読み進めるのに、読み終えてしまうのが勿体ないと感じてしまう。そんな本に出会えるのはめったにないからこそ、その時間が愛おしいのだ。

本と一言で言っても、いろんなジャンルがあり、ハウツー本も小説もノンフィクションもさまざまだけど。

同じ日本語で、言葉で、書かれた文章なのに、引き込まれ、想像を掻き立たされ、心まで乱され、挙句に涙まで流してしまう小説の凄まじさにいつも脱帽する。

いつか私がこれまで本からいただいたものを返せる番になれたらなと・・・






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