論文作法 タイトル不明

 陰鬱な部屋の中で、駄作まみれのラップトップがこと切れ沈黙した。パソコンの電池と一緒に、心が消耗していった。空っぽになった私は網膜と鼓膜でかろうじて彼の言葉をとらえていた。
「宋珉。お前さん、本当は怖いんじゃあないのかい?」眠れなかった惰性で見ていたテレビの中で、立川志ん朝が生命のほとばしるような落語を噺ていた。
 その落語は「宋珉の滝」。腰元彫りといって、刀の鍔や鈨などの金物に装飾をほどこす仕事を営む、宋三という男が主人公だ。彼は、「生きた虎を掘れるまで2度と敷居はまだがせない」と師匠から破門され、全国を転々とし、師匠の名を借り仕事をもらって生活していたが、ついに、岩佐屋という宿で酒や食事を楽しみお金を使い果たしてしまう。そこの宿屋の主人は人が好いと評判で宋三の話を聞いてやる。そこで宋三が破門のきっかけとなった虎の彫り物を見せ、「虎が死んでいる」と師匠と同様に評した。そこで宋三は岩佐屋の主人の目をかって弟子入りを決める。宿屋の主人と国内有数の腰元彫りの不思議な師弟関係が出来上がって・・・・という話だ。
 きっと。何かの縁(えにし)なんだと思った。ぼんやりと乱視がひどい目で眺める志ん朝はおぼつかない老人のようなのに、一言に秘められるパワーは32インチの薄型液晶越しでもよく分かった。リモコンを探すことすら面倒で垂れ流しにしていた光と音の波長は、立川志ん朝が完全に支配していた。もはや彼の姿や声が乗るためにある波長だった。気が付けば魅入っていた。彼の噺は秀逸だった。それこそ、何かを極めた老体から出るエネルギーに充てられていた。
眠れもしない、意識もはっきりとしない、朝の5時。落語なんて今ままで聞いたことすらない私は地上から20メートル上、鉄筋コンクリートに囲まれたところでそれを聞いていた。

宋三は何度つくってもいい結果が出ず、だんだん仕事がおざなりになっていく。酒を飲みながら仕事をするようになり、ついに岩佐屋の主人と師弟関係を結んだ時の約束「素人に師匠なんか頼んだのはお前さんなんだから、私が言うことを素人だからって聞入れないのはいかん」というのを無視して、「素人が口を出すな」と言ってしまう。そこで、二人は喧嘩腰になるが、宿屋の主人は厳しく、愛をもって彼を諭した。「宋三、逃げてやしないかい?そりゃあ一生懸命こしらえたものを、根っこからダメだといわれたらそりゃあつらいよ、苦しいよ、残念じゃないか。だがな、若いんだ、いいじゃないか、失敗の一つくらい。やり直せばそれでいいんだよ。」
失敗の恐怖に逃げたくなっていた私を、何かが引きとめてくれた。落涙必須の噺に、嗚咽が止まらなかった。話を書くたびに、ともすればいつか、20メートル下へ、物理世界の言いなりになって逃げてしまうのではないかと震えていた私の手を引き上げてくれた。私は19歳、20メートル下に希望を捨てるにはまだ早い。
放送が終わって、鼻通りがましになったころ、ラップトップをまた立ち上げた。駄作の詰め合わせのラップトップはさっきより少し、にぎやかだった。


その100円で私が何買うかな、って想像するだけで入眠効率良くなると思うのでオススメです。