論文作法 題名忘れた

足元には小さいパラレルワールドがあった。土のにおいが香ばしくたつ夕方。ピアノのお稽古に行く頃。私は決まって、足元を見ていた。家から、ピアノの先生の家までは300メートル。「ばあばが見ててあげますから」そう言って背中を見送られながら、トボトボと歩き出す。お稽古が嫌だったわけではない。その道の途中にある「難所」が怖くていっぱいに勇気をためないと、どんなにお気にいりの長靴を履いていても、そこを超えられなかった。
 「難所」は波トタン製。雨粒に打たれてそのさび色を一層鮮やかにする。住宅街でひどく浮いた、建付けの悪いバラック小屋のような家。そこには獰猛な犬がいて、通りがかる人にトタンの壁と地面の隙間から、噛みつくような勢いで吠えかかるのだ。大きい音が苦手な私は幼稚園生のころから何度もそこで耳をふさいで立ち往生していたが小学生にもなれば「ばあば」はお見送りしかしてくれなくなって、自力でその「難所」を切り抜けねばならなかった。
 「耳をふさいで歩いちゃいけませんよ」と祖母の言いつけをかたくなに守って、一歩ごとに緊張していた。しかし、雨の日だけは少しうれしかった。世界に騒音を注ぐ雨音が犬の狂暴な鳴き声を打ち消してくれるからだ。そして何よりも、雨上がりの帰り道の足元にある水たまりさえあれば、どんなに怖い狂暴犬も白馬に変えられるのだった。
 よし、「向こう」に行くぞ。こっちのセカイは灰色だから、私がいろんな色を教えてあげるの。私は世界を「さかさま」に歩いた。水たまりが鏡面になって映る住宅街の「裏のセカイ」に色を付ける「係」になった。見慣れた住宅街をお城やブティック、遊園地にかえて、「ばあば」がいない帰り道を一人で歩いた。「難所」の犬は白馬やドラゴンにかえて、恐怖を楽しみにかえた。難所を抜けて、角を曲がれば、ワンブロック先にばあばが待っていてくれる。ばあばが見えたら「表」の世界に戻る合図。裏のセカイより少しだけ味気なくなったいつもの住宅街を足早に駆け抜けた。

 19歳になっても水たまり越しにセカイを見ていた。新宿の少し汚い飲み屋街の水たまりは、明るい都会の光を受けて十分鮮やかだったけれど、黒々とした水たまりは、裏切りの傷、劣等感の眼差し、フリマアプリで値切ったブランドバッグで張った虚勢の残像、華奢な手の甲に残る吐き胼胝、軽薄な下心の錯綜。鬱屈した都会の、誰も気づかない、踏み外してながら蓄えた勇気を鮮明に映し出した。彼らが表で隠してるそれらが私にはいとおしくてたまらなかった。人間臭くて、どうしようもなくて。隠しきれない必死な欲求が、水たまりには見透かされていた。
 「耳をふさいで歩いちゃいけませんよ」祖母の言いつけをまだ守っている。秒針が付いた時計が部屋にあるだけで眠れなくなるほど聴覚が敏感な私が、都会の喧騒を歩く。明け方の雨後の街は私を置き去りにして、朝を迎えてしまった。4時43分、ビル群が朝日に塗りたくられて青時雨がうっとうしい静謐な朝の空気を仕方なく吸う。そんな世界よりまだ少し彩度を持たない足もとの液体鏡の中はまだ夜で、昨日を超えられなかった私を静かに肯定してくれていた。

その100円で私が何買うかな、って想像するだけで入眠効率良くなると思うのでオススメです。