あかねの(ための)一首評 24
むっくんがキレるキレるぞ草いきれ ヘリコプターがよく飛ぶ日だな
セキユ(粘菌歌会第30回「怒り」より)
むっくんって誰? 軽く調べたけど元ネタはわからなかった。知ってる人いたら教えてください。でも知らなくてもたぶん、というか元ネタなんて実際ないのかもしれないし、なんとなくキレ芸で勝ってそうなどこかのむっくんが思い浮かべばそれでいいんだ。きっと。
さて、誰かもわからないむっくんが「キレるキレるぞ草いきれ」という言葉遊びから始まって、下の句ではとつぜんヘリコプターに言及するにいたり、最初から最後までこの歌はさっぱりわからない。なんとなく、主体(≠むっくん)は濃い草のにおいの中にいて、音は聞こえるけど風圧は届かないくらいの距離を飛ぶヘリを見上げてる気がする。
ヘリコプターは凶兆だ。ヘリは理由もなく飛ばない。報道か、救援? いずれにしても、なにかヘリが飛ぶに値する不幸な出来事が起こったのだと漠然と予感させる。それが「よく飛ぶ日」なのだ。ヘリの近さを考えれば、その不幸は必ずしも遠くの出来事ではない。しかし、主体には凶兆という感覚はあんまりなさそうだ。「ヘリコプターがよく飛ぶ日だな」というのは気づきではあるんだけど、その裏に潜む凶兆にまでは思考が至ってない。単に多いなあという感覚にとどまっている。
草の中の複数人の若者、キレ芸のむっくん、ヘリコプターへの単純な気づきというのはすごく無軌道な感じがする一方でちょっと楽しそうだ。草いきれ。どんなだったかな。ほんの子どものころはよく嗅いでいた気がする。草は傷つくときに一番においを発する。なぎ倒された草。それもなぎ倒されたばかりの草の中にいるときしか草いきれは味わえない。その濃厚な草いきれのなかで、キレ芸が絶好調のむっくん、近いところを飛ぶヘリ、その意味も分からず現状を楽しんでいる主体。
この危うさよ!
最後に、この歌は「エモーションを歌わなければならない」という短歌が陥りがちな袋小路からひょろりと逃げおおせている。感情を中核に置いて言葉で肉付けしていくという方法論とはまったく別のところからスタートした歌だ。この歌は言葉遊びから作られ、しかしある種の危うさを描き出すことに見事に成功している。どうやったらこーゆー歌をつくれるようになるんでしょうね?
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