あかねの(ための)一首評 15


あばずれのあべのハルカス窓を這う雨のかな文字とろとろおちる

枇杷陶子(粘菌歌会第20回「韻」より


 あべのハルカスって、なんとなく下品な感じがする。

 名前の話だ。こんな名前、普通のセンスでは付けない。まずハルカスが変だ。カスが入ってて、直感的にいやな感じがする。あべのハルカスの公式サイトには名前の由来が書いてあって、それによるとハルカスは"いにしえのことば「晴るかす」から名づけました"ということであるらしい。それはわかる。知らない言葉だったけど、いい言葉だと思う。でもカタカナはどうだろ。ホームページで説明すれば許されると思ってる。そこが下品だ。ハルカスはとてもいい言葉なので、そこにいやな感じを受けるのはあなたが悪いんですよと責任を転嫁してくるのだ。

 あべのも下品だ。阿倍野筋に建っているからあべの。親しみやすいでしょみたいなドヤ顔が浮かんでくる。ひらがななのがほんと安易で、しかもハルカスとの食い合わせがすごいわるい。「あべのハルカス」って文字列、気持ちわるくなりませんか。

 ぼくが最初にあべのハルカスを知ったのは電車の吊り広告だった。ぼくは一見していやな気持ちになった。選挙ポスターみたいなフォントで白抜きの大文字だった。すごい不快だ。でも目を離せない。ぼくは広告を読んでしまって、それが大阪にある複合商業施設であることを知ってしまった。

 あべのハルカスは下品な計算のむこうがわにある。どぎつい名前をわざと名乗ることで、その存在を全国に喧伝しようとしているのだ。そのデザイナーの意図。非常に腹立たしいが、よく出来てると言わざるを得ない。

「あばずれ」

 まさに、あべのハルカスにふさわしい。掲載歌はこれ以上ないほど痛烈に、あべのハルカスの下品さを指摘している。

 主体はどこにいるのだろう。なんとなく、どこかのホテルのような気がする。あべのハルカスは300mもあるから、大阪のかなり遠いところからでも視界に入るだろう。主体は雨のしのつく窓ぎわに立って、遠くに霞むあべのハルカスを見ている。

 いや、主体が見ているのは雨だ。窓に張り付いた雨粒はゆっくりと流れていく。一瞬、それは「あばずれ」みたいに読めたのかもしれない。それが「とろとろおちる」のを、主体はぼんやりと見続けている。

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