いい短歌ってなんだ?

 みなさんにとっていい短歌ってなんですか? この記事ではぼくにとってのいい短歌の条件について考察してみようと思います。

 短歌にとっていちばん重要なことは何か。それは「暗唱できる」こと、だといまのぼくは考えている。これは、短歌を読むうえでも、自分でつくるにあたっても同じだ。以前、どれくらい人の短歌を覚えているのか検討したことがあって、次のはそれをまとめた記事になる。このときはだいたい2時間くらいかけて50個くらい思い出した。

 作り手としても、暗唱できる短歌が自分にとっては意味がある歌だと思っている。自分が発表した短歌をどれだけ覚えてるかはやってみないとわからないけど、むかしやってみた感じでは、覚えていたのは2000首中の200首くらい、つまり1割程度だった。前に自薦50首を選んだときは、暗唱できる歌だけから選出したのを覚えている。

 じゃあ、なんで暗唱できることが大事なのか。いい短歌はひと目見た瞬間に脳裏に刻まれるはずだ、とぼくは考える。みなさんには、一目惚れとでも言うべき、見た瞬間に記憶されてしまうような短歌との出会いはないだろうか。ぼくはある。上で挙げたような短歌はみんなそうだ。見た瞬間衝撃が走る。これは比喩でもなんでもなくて、まれに、拍動が速くなったり、視野が狭くなったり、意識が遠ざかったりする短歌に出会う。そういう短歌は、一回見ただけで覚えてしまうものだ。ぼくはなるべく同じ短歌を二回以上鑑賞するようにしてるけど、何回も読んでるうちに評価が変わることは稀で、好きになる短歌はたいてい初見で好きになる。

 だから、暗唱できるというのは結果だ。努力して短歌を覚えるというよりは、ある種の短歌は勝手に記憶されてしまう。そういう短歌に出会いたくて短歌を読んでいる。気がする。

 暗唱できる短歌とそうじゃない短歌はなにが違うのか。ここは、ちょっと考えきれてないんだけど、いまのところの考えを述べる。

 短歌、あるいはもっと広く詩には、「内容」と「表現」がある。内容は短歌の世界では景と呼ばれるやつで、何が歌われているか。表現は、どのような言葉を選択し、またそれを組み合わせて使っているかだ。これはぼくの考えだけど、景が素晴らしいだけではいい短歌とは言えないと思う。それをどんな言葉で語るかが大事だ。

 一目惚れする短歌は、表現が代替不可能な場合が多い。つまり31音が隙間なくかっちりと嵌っていて、どの言葉やその順序も変更することができない。逆に覚えられない短歌は、表現に隙があることが多い。文字数を合わせるために取って付けたような言葉があったり、他の表現に変えても困らないような、説得力のない言葉選びだったりする。

 内容に対して、これしかないというような表現が与えられたとき、文字列は詩になるんだと思う。ぼくはそういう短歌が読みたいし、そういう短歌を自分でも作ることができたらとても嬉しい。

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