あかねの(ための)一首評 4


ちゃりんこをこげばこぐだけ花薄この世を湯冷めしてゆく身体

橋本牧人(つくば現代短歌会『気持ち良すぎ』歌会)

※否定的な意見を含みます。ご了承ください

最初の印象

 まず、上の句がとてもよい。花薄は「はなすすき」と読んで、穂の出ているすすきのことである。秋のあの風にそよいでいるやつ、土手沿いとかに大量に生えているぼくらのよく知ってる風景だ。でもそれを花薄とはふつう呼ばない。ちょっと雅な、あるいは鼻につくような文語的な表現だ。

 花薄みたいに過剰に典雅な印象は扱いにくい。そういう単語を短歌に組み込むと、往々にして振り回されるからだ。でもこの歌は乗りこなしている。「ちゃりんこ」「こげばこぐだけ」という俗っぽいワードがポイントだ。俗っぽさと典雅さのバランスがいい感じに取れている。着こなしで言うところの甘辛MIXってやつだ。

文字列のバランス感覚

ちゃりんこをこげばこぐだけ花薄この世を湯冷めしてゆく身体

 下の句の解釈の前に、歌の見た目の話をする。前提として、ぼくはこの歌を横書きで捉えている。前項で指摘したように、この歌の力学の中心は花薄にある。その花薄が、ちょうど文字列の中心に据えられている点がとても効果的だ。花薄という多重に視覚的なクライマックスを挟んで、「ちゃりんこをこげばこぐだけ」と「この世を湯冷めしてゆく身体」が配置されている。

 そして下の句だ。ここでは自転車を漕いでいる間に主体が感じた身体が冷えていく感覚、そしてそれに伴う感傷的な心の動きが描かれている。上の句は主体の行為。下の句は主体の感覚。それらが花薄というイメージを中心に対比された構造になっている。

上の句と下の句の途絶

 うろ覚えの音楽を口ずさんでいると、いつも同じ場所で歌詞が思い出せないという経験はないだろうか。ぼくはしょっちゅうある。ほかの部分はするっと出てくるのに、どうにも覚えられない場所。そういうところはぼくは、言葉の音的な繋がりがよくないんじゃないかと考えている。

 短歌の視覚的な傑出からは一転、音読してみるとこの歌は印象に残りにくい。具体的には、上の句と下の句が繋がっていないように思える。

 特に上の句でそう感じるんだけど、これは俳句なんじゃないか。ぼくは俳句にはまったく触ったことがない。だからすごく適当な感想なんだけど、

・ちゃりんこをこげばこぐだけ花薄
・この世をば湯冷めしてゆく身体かな ※一部改変

 このふたつの俳句が並んでいるように思えなくもない。音的に繋がってないように感じるのもこの辺に原因があるのかもしれない。

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