あかねの(ための)一首評 3


爪切りの銀を見つめる満月へ おやすみ 規則正しい音より

友漓ゆりり(『半年たったんか第1号』より)

 人間の出てこない歌だ。これも擬人化というのだろうか。爪切りの規則正しい音が、満月におやすみを言う。とても静かなイメージだ。

 そして、だからこそこれは人間の歌だ。主体は爪を切っている。おそらくはだれもいない部屋で。爪切りはとても個人的な行為だ。それはひとりきりで行われなくてはならない。自分だけの時間。些細だけど、大切な自分のための時間を主体は過ごしている。孤独とは違う。ひとりでもどこか充足しているようなニュアンスが、歌全体の落ち着いた雰囲気から読み取れる。

 根拠はないが、秋の歌であるような気がする。

 さて、おやすみだ。この「おやすみ」は直接口に出されたものではないだろう。主体の内的なつぶやき。あるいは、つぶやきですらないおやすみという気持ち。ぼくの思い浮かべる情景は、もくもくと爪を切る主体の後ろ姿とパチパチという静かな音だけだけど、でも、その背中はおやすみと言っているように確かに聞こえる。

 だれに言ってるんだろう?

 これはひとりっきりの歌だ。だからふつうに考えれば、それは自分に言っていることになる。でも「見つめる満月へ」なのだ。ここが面白い。例えば、部屋の窓から満月が覗いているみたいな感じはしない。この歌からは爪を切る主体の背中しか見えてこないのだ。

 ぼくは、満月は世界なんだと思う。主体は世界そのものにおやすみと言っている。飛躍かもしれない。でも、ぼくにはそう思える。

 だからこれは祈りの歌だ。今日も世界が十全に存在し、わたしもまた十全に存在することができた。それは、類まれなることなのだ。主体は心の深いところでそれを理解している。そして爪を切っている。

 今日も一日お疲れさまでした。明日も頑張りましょう。

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