あかねの(ための)一首評 19


冷ややかに星は輝く何ひとつ為し得なかった日の黒ラベル

toron*(うたの日『為』より)

うまい歌のはなし

 この歌は抜群にうまい。描かれているのはくたびれたサラリーマンだろう。冷蔵庫から取り出されたサッポロ黒ラベルを指して「冷ややかに星は輝く」とは、まるでお手本みたいな言い回しじゃないか。

 ぼくはうまい歌が苦手だ。とくにうたの日で薔薇=主席をとるようなうますぎる短歌にはある種のリスクがある、とぼくは考えている。これはぼくだけかもしれない。でも、ぼくはうますぎる歌を見ると、作者のドヤ顔が透けてしまって、歌そのもののよさみたいなものが読み取れなくなってしまうのだ。

 歌の話に戻る。この歌は抜群にうまく、その中でもさらに飛びぬけて巧い。逆説的だけど、ぼくはそのことによって、作者の存在が見えなくなっているのかなと感じた。この歌はtoron*氏の業に帰せられるのは当然なのだけど、しかし、その苛烈すぎる巧さによって、まるで教科書に載ってるみたいな一般性を獲得するに至っている。

 もはや、サッポロ黒ラベルのキャッチコピーとか、そんな領域に足を突っ込んでる気がするんだよね。

 だから好きだ。この歌は"みんなの歌"である。残業と満員電車でボロボロになったこころの渇きをキンキンのビールで潤すことしかできない、これはおれたちみんなの歌なのだ。

うまいビールのはなし

 とは、書いたものの、ぼくはおそらく、この"みんな"には含まれていない。その話をする。

 歌には「何ひとつ為し得なかった」とある。この歌のポイントはまさにここにあって、それは、為そうとしたけどダメだったのか、それとも、初めから為そうともしなかったのか、そのどちらなのかという点だ。

 明確に、この歌で歌われているリーマンたちは戦士である。彼らは戦っている。日々襲い来るかぎりない理不尽を払いのけ、自分のため家族のため、いつまでも終わることのない戦いに身を投じている。失敗することもある。怒られることもあるだろう。それでもヤケにならず、歯を食いしばり、耐えて耐えてきたからこそ今日という日があるのだ。

 今日なにひとつ為しえなかったとして、それで彼らの戦いが無駄だというわけにはならない。報われる権利があるはずだ。「冷ややかに」輝く星は冷笑ではありえない。そこにあるのは激励なんだろうとぼくは考える。

 そしてそうであるからこそ、キンキンに冷えたビールは美味いのだろう。

 ぼくはビールがうまいと思ったことがない。初めて飲める歳になってからもうずいぶん経つけど、ぼくはいまだに「とりあえず生」に恐怖を覚える。おいしくない、飲みたくないってものそうだけど、もしかしたらぼくは、ぼくにはうまいビールを飲む権利がないと、そんな風に考えてるのかもしれない。

 初めから何かを為そうともしていない、ぼくは"みんな"の外側にいる。いつかぼくにもうまいビールを飲める日がくるだろうか。

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