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結婚は頑張ってするものではないと思う論

若干おおげさなタイトルをつけてしまったけれど、先日、同じ年頃の娘を持つ仕事仲間3人で話題になったことを書く。

あくまで、ごく私的な主張だということを忘れずにお読みください。


仕事仲間のお嬢様方と私の娘は皆アラサーと呼ばれるお年頃。そして揃って未婚であり、結婚する気配も匂いも予感もない。

で、それを3人の母が嘆いていたとかいう、そういう話ではない。

看護師さんをしているという娘さんを持つ母Aさんは、「結婚してほしいかと言ったら、別に、って感じなの。」と言う。なぜかといえば、「結婚したからって必ずしも幸せになるとは決まっていないじゃない?だって、私だって夫と全く仲良くないんだもの。それに、自分で自分をちゃんと食べさせていけてるんだから、必要ないわよね。」。竹を割ったような性格のAさんらしく、婚活の必要性を一刀両断だった。

ふむふむなるほど。と聞いていたら、息子3人と娘1人を育て上げたBさんがこう言った。「そうね。最近は無理して結婚したくないっていう若い人増えてるわね。私もとくに娘に結婚してほしいとか思わないの。なるようになるのが一番よね。頑張ってするものじゃあないわ。」と言いながらウフフと笑った。


最近どなたかのnoteで、何年か前のティファニーの広告のコピーが秀逸だったと書いてあったことを思い出した。「ひとりでも生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う。」というそのコピー、確かに名言だなと思う。そして、ひとりで生きていける人なら、縁があって結婚しようが、そのままひとりで人生歩もうが、どっちだって幸せになれる。

私は、ここでいう「ひとりで生きていける」は必ずしも経済的な自立ではなくて、自分の人生における選択に責任が持てて、何か危機が訪れた時に、それを自分以外の誰かのせいにせず自分で引き受ける覚悟があること、ではないかなと解釈している。


ところで、わたしの娘ですが。「自分の世話だけで精一杯ですし、共稼ぎが前提の世の中で、家事もして夫の世話もして子供の世話もするのは、たぶん私に一番向いていない職業だと思うので、しません。」とキッパリ言い放った。

そう。人間向かないことはしなくてもいいんじゃないだろうか。とわたしは思っている。やりたい人とできる人がやれば。

少子化問題とか色々あるのだろうけど、とりあえず目の前に迫る自分の問題だと思う。今の日本では自分を食べさせていくのが精一杯なのに、少子化問題など気にする余裕なんかない、というのが本音だろう。

それでもどうしても世の中が結婚して子供を育てて欲しいと言うのであれば、潤沢な資金を持たせ不安なく大船に乗った気持ちで家事やら育児やらができるように、(やりたければ)仕事もできるように、すべてのお膳立てを整えてから言ってほしいのが本音である。さらにいえば、女性は子供を産むためだけに生きているのではない。現代では単なる選択肢の一つだ。

つい心のうちを吐露してしまったけれど、そういうわけで、この母たち3人は揃って「結婚は頑張ってするものじゃあない」派閥の人間だった。もしかしたら、こういう母はマイノリティかもしれないけど。

そもそも、わたしは一度離婚している。現在の結婚生活はとても幸せだけれども、とても幸せじゃない結婚生活というものも経験して、それがどんなに辛いことかも知っている。だから、モロテをあげておすすめなどできない。

そういえば、わたしの友人のうち4人が離婚している。あまりにも局所的な統計で申し訳ないけれど、その離婚率の高さったら、もう結婚なんて博打だとしか言えないレベルだ。幸せになるかならないかなんて誰にも予想できない。

それに幸せとはずっと続くものではない。夫婦の間、家族の間には長い年月のうちに様々なことが起きる。危機的状況も平等にやってくる。結婚さえしてしまえば上がり!とはいかない。

あまりデメリットばかり語ると、結婚反対派の人間だと勘違いされてしまうかもしれないので、メリットを何か書こうかなぁと思ったのだけど。色々楽しいこともあるよ、なんていうざっくりしたことしか書けない。

わたしは今の夫がとても大事だし、娘が生まれてくれて大変幸せな時間を過ごさせてもらったと思っている。だけどそれはあくまで個人の感想だ。

ちなみに兄は未婚のまま長いこと生きているけれど、毎年海外のロックフェスに出かけたり、フットサルチームで汗を流したり、夜中にギターをかき鳴らしたり、それはそれは楽しそうに暮らしている。自由気ままでウラヤマケシカランとか妬ましく思ったりするものの、わたしは今の3人家族で楽しいからそれはそれでいい。であるからして、好きなように生きてくださいな。娘よ。

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