エミールガレとドーム兄弟のガラスに心が揺さぶられている話
昔からルネラリックやエミールガレ、ドーム兄弟のガラス作品が大好きなコーチのぐっちです。
ふらっと訪れた上野松坂屋で偶然開催されていた、「ガレ&ドーム アール・ルーヴォーガラスの美展」をたっぷり1時間弱堪能して、興奮がさめやらず、近くのカフェに入ってこの興奮を残しておこうとnoteしている。
ガレやドーム兄弟というガラス作品をご存知だろうか。私は彫金というジュエリー制作をしているので、この辺が大好きで特に、ルネラリックも含めて、ガラス工芸を見るのがめちゃくちゃ好きだ。
ちなみに、ラリックもガラスも作って、ジュエリーも作っているんだけど、ガラスといえばエミールガレとドーム兄弟をおいて、語れない。
ガレもドームも、ラリックもパリ万博ごろの作家たちで、この頃しのぎを削っていた。ガラスという超繊細な作品が戦争と震災とあらゆる災害を潜り抜けて、100年以上の時を超えて今、目の前に展示されていると思うと胸が高鳴らずにはいられない。興奮しすぎて今若干、手が震えているんだけど、それぐらい美しいガレとドームの作品を見させていただいた。
ぜひ、見たことがない方は、ガレとドームと、できればラリックの作品を見てみてほしい。
このガラス作品が素晴らしいということは言わずもがななんだけど、1時間近くに及ぶ美術商の方から伺って感動したことをいくつか記録しておきたい。
01:ガレの作品は全て分業だった
ガレの作品、ドーム兄弟のガラス作品というと、ガレさんという人が一人で全工程作っていると思われがちだけど、そんなわけはない。吹く工程も絵付けの工程もどれも全て専門の職人が作っていて、彼が一人で作っているわけではない。エミールガレという名前はほとんどブランドのようなもので、TiffanyとかGUCCI、CHANELとかのそれと近く、それぞれの部分を専門領域の人が作る。どの工程も技術が全く違い、一人で作るのは不可能だからだ。そしてそれぞれ分業で作ったからこそ、最高に良い作品が生まれて、作品も多く残せて、たくさんの人たちに知ってもらうことができた。だからこそ100年以上後の私たちも本物を見ることができる。
全てワンストップで一から十まで作ることも価値があるけど、分業にするからこそ、たくさん生み出せる。力も生まれる。このメッセージは今の私に言われているようで、ズキュンときた。
02:100年以上の時を経ても解明できないガレの技術
ガラスの中に薄いガラスを幾層にも埋め込み、ガラスで色の陰影を出すというとんでもない技術を生み出していたらしい。ガレの工房が亡き今、その技術がどうやってできているかは解明できない。ガラス工芸の制作方法はわからないけど、金属加工をしている身としては、違う素材を組み合わせる難しさは少しわかる。金属でも重ねれば重ねるほど温度の違いで接着が難しくなる。色によって収縮率が異なるガラスの中に埋め込むなんて、冷却時に縮む温度で割れるに決まってる。それなのにそういう信じられない技術を研究していたらしい。信じられない。莫大な予算をかけて、信じられない精密な技術を研究して、
ガラスを作っていたなんて。そしてのその技術の結晶が100年以上時を経て目の前にある。震える。
03:電気のない時代のガラス作品はその時代どう見えていたのだろう
電気がまだ走っていない頃のパリ。その頃作ったガレとドームのガラスは、自然光の当たり方で見え方が全く違ったらしい。今回の展示で懐中電灯で光を灯すと、一つの花瓶の中に陰影の異なる様々な色が浮かび上がった。その当時、この美しいガラスはどんなふうに人々の心を揺さぶったんだろう。今みたいに煌々と明るくない時代、太陽の光が当たって、見る角度によって美しく変わるガラスはどんなに美しかったんだろう。薄暗いパリの工房で、パトロンの屋敷の中で…どんな風に美しく見えたんだろう…と想像すると、これまたゾクゾクする。
04:どんなに完成間近でも一瞬のヒビで全て失敗品に変わる
ガラスの原料は非常に高価で、1点作るために、原価だけでも相当かかっている。そこに02で書いたような信じられない高度な技術で作品を作っているから、当然失敗する。100点制作して、最後の9割完成までこれる作品は4.5点ぐらいなものらしい。つまりそこまでどれだけの費用をかけて制作していても、壊れてしまったら全部無になる。その9割までやってきて、あとちょっとで完成だ!というところまで来た作品も、最後の最後の仕上げてで一瞬でヒビが入ったら終わりなわけで、完成した作品は100点作って1点ぐらいだたらしい。その1点は100点分の原材料と人件費がかかっている。その凝縮だ。ピカソの絵がサラッと描いた絵がなんでこんなに高いの?みたいな話に、ピカソの人生が全て詰まっているからだよ!という話に似ている。
ほんと、出来上がった作品は1点でも、そこにかかった全てのものがこの中に詰まっている。制作過程を詳しく美術商の方に教えてもらって、改めて気付かされた。そう、完成したものはそれ一点でも、その裏に隠された努力と人の数と材料費とデザインとあらゆるものが凝縮して、今目の前にあるこのガラスになっているんだと。
興奮して書き殴っているので、何が言いたいかわからないかもしれない。でもそれでもいい。ガレとドームの本物の作品を見て、心が揺さぶられている。その興奮をここに残しておきたくて書き殴った。
この展示は、1/25(火)までやっているらしい。明日までだけど、もし間に合う方がいたら行ってほしい。ぜひ本物を見てほしい。そしてもし、ガレとドーム(とラリック)が好きな方がいたら、語り合いたい。
いつか買いたい。小さいので30万くらい。ガレのガラスが家にあったら、ずっとあっちこっちから光を当てて、ずーっとぼんやり眺めていたい。
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