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23年9月10日
男子バスケW杯2023が幕を閉じました
日本代表はこの大会で、初めて公式戦で欧州国に勝利し、史上初3勝を上げ、48年ぶりに自力での五輪出場を決めました!
めでたい!嬉しい!ありがとう!!!!

その立役者の一人、比江島慎選手のこと、綴っていきたいと思います
比江島選手が活躍したから取り上げるのではなく、大好きな推し🐨が活躍したので、もう黙ってはいられない!ということで、読み進めて頂けると有り難いです。
彼のブレない努力と成長の軌跡です。以下敬称略🙇‍♀️


海外挑戦

この度の彼の活躍に対して、『世界でも通用する』という声とともに、33歳という年齢から『若いうちから海外に行っていればなぁ』という嘆きも聞こえてきます。

実際、Bリーグ2年目の17-18シーズンMVPをとったオフに、栃木ブレックス(当時)に移籍とともにオーストラリアリーグNBLにチャレンジしています。28歳でした。結果は正直、大活躍というわけにはいきませんでした。
試合中のコミュニケーションに問題があったと言われています。
ただ渡邊雄太や八村塁も1年目は言葉の壁があり、2年目から活躍し始めたと聞いたことがあったので、なんとかもう1年、と願うこともありましたが、彼にはそんな猶予はありませんでした。
2019年にはW杯出場が決まっており、年齢的にもプレータイムを確保して、実戦やスキル全てにおいてレベルアップしていかなくてはいけませんでした。
挑戦した理由の一つとして、代表で役に立てば、W杯や五輪で活躍したいから、という思いをあげています

ファンである私は悔しくて悔しくて堪りませんでした。もっとチャンスを与えてくれれば絶対結果を出せるのに、と。
ただ、コミュニケーションを取りながらチームで試合を作っていくスポーツである以上、それも含めて実力ですから、仕方なかったのかもしれません。

高校・大学進学

海外挑戦するチャンスは他にもありました
高校卒業時に、洛南高校の同級生谷口大智が選んだ『スラムダンク奨学金』です。
どのような事情もしくは心情でそうなったのかは分かりませんが、周りからの薦めで青山学院大学への進学を決めました。
本人は2部で良いからのんびりバスケを楽しみたいという気持ちもあったと言っていますので、なんと欲がない、、、というか何というか、、、
(井上先生はバスケ界の恩人です

https://itplanning.co.jp/inoue/i160921/

もっと遡ると、福岡県出身の彼が、『県内の高校はレベルが高いから入学しても試合に出られないだろう、ならば県外へ』と京都洛南高校に進学します。こちらもなんと、謙虚というかなんというか
(洛南高校も充分強豪校ですが、留学生がいないというのも理由だったみたいです

こういった節目のタイミングで海外挑戦や県内の強豪校を選ばずに、何かに導かれるように自分の道を進んでいきます。
ただ、この道を選んでいたからこその出会いや成長があったと思います。

選択とタイミング

これは全く個人的な見方ですが、彼のような、プレーが止まった時の顔つきや、オフコートのふにゃふにゃ具合は、年配の男性コーチにはなかなか理解されない(誤解されがちな)部分があるような気がします。
おい!真面目にやってるのか!
何考えてるんだ!
彼の才能で認めさせてきたのでしょうが、もしこのような良い出会いではなかったら、(とてもイヤな言葉ですが)どこかで潰されてしまっていたかもしれません。
これは海外に出た時も同じことが言えると思っていて、あのタイミングで海外挑戦したのは、ある意味ベストだったのではないでしょうか?
大人になり実力もつけ、戻れる場所があることで、前向きな選択が出来たような気がします。
(あくまでも個人的意見です)

もう一つ、大きな選択がありました。
栃木ブレックス(当時)への移籍です。
ここでも、自分に足りないのはディフェンス、代表に残るためにも必要だから、と。海外挑戦と重なりますが、自身の成長のため、代表活動のため自らの道を選んでいます。
Bリーグで優勝するまでに4シーズンかかりました。
この間も『移籍したのは失敗だったのではないか?』『こんなの比江島を活かせてない』『前の方が良かった』など
でも彼は、21-22シーズンでエースとしてチームを優勝に導きました。
ファンの方々の、ブレックスに来てくれてありがとう!という言葉は本当に涙が出るほど嬉しかったです。
自分に足りないこと、成長させたいこと、代表活動で役にたつこと、明確に目標をもってそれをクリアしていく姿に感動しました。

W杯2019の前にNBAサマーリーグにもチャレンジしています。誰でも出来ることではないし、私は詳しくないのでわかりませんが、選ばれたことは誇って良いと思います。

ご一緒してくださった稲垣敦氏の記事です

日本人の多くの選手が知らなければいけないけど、知ろうとしないのは失敗談です。比江島だけが、何が足りなかったか、もっとこうすれば良かったという体験を次に続く選手にアドバイスできる存在です。短期間に多くの挫折をしたことで、彼だけに見えたことも絶対にあります。現役中には無理かもしれませんが、今後引退したときに後輩たちへどう伝えていくか。それを僕自身も楽しみにしています

挫折と成長


誰でも同じですが、人生は選択の連続です。
洛南高校進学
青山学院進学
アイシンシーホース(三河)入団
栃木(宇都宮)ブレックスに移籍
オーストラリアリーグ挑戦
サマーリーグ
この後、Bリーグでスキル・実力をつけて
W杯2019
東京五輪
Bリーグ優勝
W杯2023
と経験していきます。

ずっと勝てなかった。勝てなかっただけでなく、自分自身が何も出来なかった。でも
世界で1勝したい、代表に選ばれたい、日本バスケに貢献したい、と努力してきました。
そして!
世界での1勝!パリ五輪出場!を勝ち取りました!

この道が正しかったのか?

『選んだ道を正解にしていくしかない』
正解にしていくのは自分しかいない、と。

渡邊雄太も八村塁も比江島慎も、皆んな皆んな自分の手で進んできた道を正解にしています。長くかかる道もあると思うけど自分の道を切り開いていくのですね

「道はじぶんでつくる 道は自分でひらく 人のつくったものはじぶんの道にはならない」相田みつを

余談①

比江島慎は『いつも自信はある』と言いながらとても謙虚な人です。
井上先生のコラムにもあるように、エース然とした気合いの入った言葉は吐きません。むしろ『エースと言われても、、、。いやいやいや、、、』

W杯2023での2勝目、ベネズエラ🇻🇪戦
彼の大活躍について、渡邊雄太と富樫勇樹のコメント

もう笑い泣き、いえ泣き笑いです😭 
日本のバスケファンの中で、比江島慎の実力を唯一信じていないのは他ならぬ比江島慎なのかもしれません。

余談②

パリ五輪出場を決めた翌日の記者会見で、『今までの日本代表と何が変わりましたか?』という質問に対して、渡邊雄太が『点を取れる選手が増えた。今までは、比江島慎しか点を取れなかった』と言ってくれています。
ありがとう雄太

それを隣で聞いている何とも言えない顔

そして今なお、世界で点を取ってくる比江島慎!

余談③(一番言いたいこと

楽しんで
自分らしく
自分を信じて

という言葉を私は試合前によく呟きます。
(最近は、怪我なく、も加えています)
自分を信じて、というのは自信をもって!ということでもあります。
オーストラリアリーグからブレックス移籍、サマーリーグ、W杯2019と、絶好調とは言えなかった期間、彼の自信がなさそうな顔つきや仕草にもやもやしていました。
もっと自信持って良いのに!
こんなに素晴らしいプレーが出来るのに!
いつも心配しています(それは彼のせいではなくて私の性分ですね

でも東京五輪で全敗したものの、彼のステップは充分通用していたし、彼自身も自信が持てたと言っています。
そこからBリーグ優勝、W杯での活躍、もう心配なんかする必要ないのかもしれません
(初めから必要ありません🙇‍♀️

彼がエース🇯🇵だった頃から
海外組が入って迷っていたW杯2019
そこでの役割を見出した東京五輪
HCが変わり役割も変わり、でも
成長し選ばれ続けたW杯2023

代表で何が必要か、そこをブレずに成長してきました。
だからこそ!
ずっとずっと日本代表でいていただきたい!
これから何年も経って、選ばれないことがあっても、僕は引退しませんいつでも呼んでください、としがみついて欲しい!

余談④(今度こそ最後

こんなにも世間一般にバスケが認知されて、『日本バスケ界の発展に貢献したい』といったシーズンMVPに選ばれた時のスピーチを思い出します

全ての指導者に感謝
お母さまにも感謝


最後に、、、
功労者たくさんいらっしゃる中で、田臥勇太さんが精力的に広報?活動されてましたね。解説はもちろん、バラエティ番組にも出演。
今、自分が出来る最大限の貢献されてたのかなって


バスケに関わる全ての方に感謝です

勇気と幸せをもたらしてくれました
応援していて幸せだったし、応援していて良かったと思わせてくれて幸せでした

ありがとう🫶


#AkatsukiJapan
#バスケW杯2023
#Bリーグ
#宇都宮ブレックス
#比江島慎

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