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風になって

先日、広島市にある原爆ドームを訪れました

天気が良く晴れ渡った青空に原爆ドームは佇んでいました。全ての音が川に吸い込まれているように、しーーーんと、何も言わずに。
海外からの観光客などたくさんの人が歩いているのに、話し声も足音も何も聞こえません。

平和記念公園もぐるりと回ってきました。今まで私が学んできたことや知っていることを全部ひっくるめて、ここだよと言っているように感じました。
そして自分の祖母や父、友人、私の目の前からいなくなってしまった人たちのことを思い出しました。

人は二度、亡くなる、と言いますね。
肉体的に亡くなったとき、そして人から忘れさられたとき。
でも残された人は何度も何度も、その人のことを思い出す、思い出を反芻して胸に刻んでいくんですよね

以前、通っていた美容室に予約をしようと、いつものように電話しました。希望の日時を伝えて○○さんでお願いします、と。
するとお店の共同経営者の男性が私に告げました
『実は○○は先日亡くなったんですよ』
特に深い関係性があるわけではなかったけど、突然のことに言葉を失いました。一度電話を切り、改めて予約の電話を入れました。
来店して相方の男性と話をしました。彼は○○さんが亡くなった日の様子、○○さんの奥さんがどう対応したか、事細かにお話ししてくれました。『たぶん○○は人生好きに生きて後悔してないと思うから、僕は驚きはしたけど涙は出なかった』と。
きっと来店したお客様に同じことを何度も何度もお話ししたんだと思います。

私は仕事で、家族や近しい人を亡くした方とお話しする機会が多くあります。やはり同じように、故人が亡くなった時の様子、病院の先生がなんと言ったか、どういう処置を受けたか、その前に家族になんと言ったか、その1週間前にこんなことがあった、ひとつひとつのエピソードに何か意味を持たせるように語ります。

私の母も自分の夫(私の父)が倒れた時、同じように時系列で事細かに私に話しました。その前にどんなことがあったか、父がとった行動も含めて、何か前兆があったのか、自分が気づかなかった何かがあったのではないか
父は突然倒れて、何も話さないまま亡くなりました。

父は化学系の研究者でしたので、非科学的なことはほぼ信じていませんでした。自分の母親(私の祖母)が亡くなった時も、火葬場で涙を流すこともなく何の躊躇いもなく喪主として着火ボタンを押しました。
おそらく身体(臓器)が動かなくなった時点で、父の中で祖母は亡くなっていて(もちろん悲しかったとは思いますが)、魂とか霊とかは信じるべきものではなかったんでしょうね。


私も信心深いタイプではありませんが、父が見守ってくれているような気持ちになることは多々あります。最近、母が弱ってきて色々と呟くようになっていますが、たぶんお父さんならこう言うな、とか喧嘩するだろうなも含めて存在を感じています。

私が表情のある父と最後にあったのは、末っ子が生まれてすぐ、わざわざ私の自宅に小さな赤ちゃんを抱きに来たときでした。幸せそうな顔を見て、少しばかりの親孝行が出来たのかな、と思ったものです

『千の風になって』という歌があります。
『私のお墓の前で泣かないでください』
『千の風になってあの大きな空を吹き渡っています』
秋も冬も朝も夜も私に寄り添ってくれるんですよね

きっと父を思い出すとき、私の隣で風になってそよいでいるのでしょうね。

あの空のように
あの川の流れのように
しーーーんとそこに居てくれるのでしょう


#千の風になって
#広島
#原爆ドーム
#日記

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