『99/100の世界』 『1/100の世界』

ニューヨークに来て1ヶ月ちょっと、この街で”ビジネスとは何か”と考える毎日を過ごす中で、先日参加したビジネスとは全く関係のない小さなイベントである考えが頭に浮かんだ。

自分の生活やキャリア、あるいは自分の会社の今後の方針ついて考える際にどういう風に期待を抱いているかが、ニューヨークと自分が育ってきた環境では大きく異なるのではないか。

自分が日本で所属する商業銀行のビジネスでは100社の取引先にお金を融資し、返ってこない(貸倒れ)率をいかに下げるかが一つの肝である。ただお客さんも不確定な環境下でビジネスをしている以上、100社全部が借りたお金を全て返済できるとは限らない。そこで例えば1社丸ごと返済できなかったとしても他の99社が最初に借りたお金とそこにかかる利息を払ってくれることで最終的に銀行として赤字にならないように利息率を設定するというのが融資というビジネスの基本だ。つまり基本的には返ってくることが前提となっているし、日常の融資判断においても”貸せる”という判断よりも”貸しても大丈夫か”という判断に割く労力の方が大きくなる(もちろん経済成長のどの過程にいるのか、銀行自体の市場における価値によっても変わってくるとは思うが)。これがいわゆる『99/100の世界』。

一方でここニューヨークで自分が日々接するベンチャーキャピタルの人たちは少し違っている。彼らはまだビジネスとして売上もたっていないような会社(スタートアップ)を見つけてきて出資という形で資金を渡し、成功した際にその一部を配当で受け取る。このモデルでは100社に出資して1社でも成功すれば十分に元が取れるように最初の出資の際の株の持分を設定するところがビジネスの基本となる。つまり上記銀行のモデルとは違い、基本的には返ってこないことが前提となっている。これが『1/100の世界』だ。

では両者の違いがどういう形で日々の行動に現れるか。『99/100の世界』ではもし2回連続で失敗したら母数を200に増やさないと(あるいは全体の利息をあげないと)成り立たなくなる。そのため失敗への心のハードルは必然的に高くなる。一方で『1/100の世界』ではある意味99回連続の失敗を受け入れられる。表現は立場や状況によって変わるが、”失敗してなんぼ”なのだ。

ただ冒頭に述べた”ある考え”というのはこれではない。99回連続の失敗が受け入れ可能とは言ったが、そんな連続で失敗したら気持ちが先にやられてしまう。少なくとも自分には文字通り99回連続失敗を耐え切れるほどの強いメンタルはないと思う(もちろん数字自体はあくまで例だが)。実はそのイベントでほとんど全員が初めましてという中で英語での会話がまだ十分にできない自分はイベントの前半で疲れてしまい、後半は参加者が披露している音楽を鑑賞していた。ところが一緒に来ていた友人(生まれも育ちもニューヨーク)はどんどん色々な人と話をしていく。よくみると彼も全員が知り合いではなく初めましての人もたくさんいる。しかもそれぞれの会話が盛り上がっているかというと、内容というよりはその場の”ノリ”だけの会話と言えなくもない感じで終わるものも多い。でも結局彼はその3時間のイベントで最初から最後まで色々な人に声をかけて回っていた。もしかしたら本人としてはその”ノリ”も楽しいのかもしれないし、そういう会話を上記で述べた失敗として定義するのは失礼だが、少なくとも自分としても何か成功と言えるようなものを見つけるまで続けることを楽しもうと思う瞬間だった。


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