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「傷つきました」と人に言いたくなるのは

私の場合、
「〇〇と言われて傷つきました」
「〇〇されて傷つきました」
と、自分以外の人に言いたくなるのは、

自分の中に
「こんなことで傷ついちゃいけない」
「私に傷つく資格はない」
「こんなことで傷つくのは自分が弱いから」
「相手の言ってることが正しいんじゃないか」
「私にも原因があるかも」
という思いがあるからだ。

だから、誰かに
「そんなことされたら傷つくのは当たり前ですよ」
「〇〇と言うなんてひどい」
と言ってもらって安心しようとする。

でも、自分の中にある考え方が変わってないとまた不安になる。

そこで、自分と同じ状況で傷ついている人を探して、安心する。
〇〇することが悪いことだから、私は傷ついたんだ。〇〇と言われたらみんな傷つくんだ。と安心する。

また不安になると、いろんな証拠を持って、傷つけた相手に謝らせようとする。「俺が間違っていた」と言わせようとする。

だけど、本当は、〇〇することが悪いことじゃなくてとてもいいことだとしても、〇〇という言葉がとてもいい言葉だとしても、みんながみんな正しいと言ってることだとしても、誰も共感してくれなくても、自分が傷ついたなら傷ついたでいいんだと思う。〇〇が善か悪かは関係ない。事実か嘘かも関係ない。正しいか間違えかも関係ない。

自分で受け止めきれないときに人に話すのはとても良いことだと思う。ただ、最終的に自分の思考を見つめ直すことを省略することは多分できない。

「〇〇は悪いから自分は傷ついていい」よりも、
「〇〇で傷つく自分はなにも悪くない間違ってない」と思えた方が安心できる気がする。