ほんの少し傾斜してる、それは希望かもしれない

日記みたいなものです

選抜制度は賛成派だった。それで何か風通しが良くなるのであれば。

ただ実際に選抜は発表されて1晩が経って色々考えて思うのは「寂しい」ということ。

僕はこれからの未来で、どうにかして「全員で表題」を目指していけないかと考える。
これが最適解ではなかろうか?

しかし選抜制度には利点も沢山ある。なのでソレはやめるわけではなく、2つ目の全員曲の枠(接触と感情・一生に一度の夏・知らないうちに愛されていた などの枠)を選抜扱いに出来ないかと思う。マンネリ防止や個人の目標としてでも選抜曲はメリットが大きいし、自分の立ち位置を定期的に知ることが出来る良い道標になると思う。しかしこれらは内部で分かっていれば良いことで。アーティスト写真だったり、テレビ番組だったりで披露する分には「日向坂」として扱ってもらえる未来が一番明るいんじゃないかと。
日向坂は「なんかよくわかんないけど、楽しそうなところだよね」って言われるのが最高の褒め言葉だったと、僕は思う。


そして選抜制度を導入するに導いてしまった個人的に最近の反省点と言えば、オタクのベクトルの揃い方だと考える。

共通の目標が必要という話が良くあるが、「ライブで最強のアイドルグループ」になろうとする推しグループを前にして「ライブで最強のアイドルグループのオタク」かどうかよく考えるべきだと思う。
サイリウムが揃ってなかったら最強じゃないのか?コールが揃ってなかったら最強じゃないのか?振りコピしてるやつがいたら最強じゃないのか?本当にそんなことで「最強」は決まるのだろうか。虹が揃わなくなったら最強じゃないのか?会場のスケールが小さくなったら最強じゃないのか?

「ライブで最強」とは何なのか真剣に考えるべきところだと私は考える。
僕は全員が「今日のライブは楽しかったなぁ~!」という感想で会場を後にできるのが「ライブで最強」ではないかと考える。
そのために必要なのは「懐の深さ」だけではないか。ライブの楽しみ方は人それぞれであり、ルールの中で楽しんでるのであれば、その楽しみ方を邪魔することはどんな理由があれ許されないと私は思う。(もちろんルールを逸脱しているのであれば後からSNSでお気持ち表明ではなく、その場で即スタッフ通報が最適解である)
それぞれがそれぞれを許容し、認め合う道の先の先にあるのが『Let's Be Happy』ではなかろうか。

「ライブで最強‼️」という僕以外誰も使わなくなったキャッチコピーを元に考えてみたが、やっぱり選抜制度は「寂しい」が勝つ。
この状況を作ってしまったのは紛れもなくオタクたちであり、「おひさま」であると私は思う。

無理だと言いますか?
叶わないと言いますか?
捨てろと言いますか?
諦めろと言いますか?

夢を見なくちゃ、生きてる意味は無いですからね。
「次こそは」って頑張れますからね。



我々のせいでメンバーに悲しい思いをさせてしまってる以上、自分のケツは自分で拭うと言いますか、ちゃんと責任取って元に戻すところまではたどり着いた時に、見えてくるのが大きな卵だと私は思います。


それでは


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