忘れもしない去年の夏
去年のお盆、初めて親戚のところへ行くのを拒否した。
受験や感染症で仕方なく行けないのではなく、行きたくないから父親に嘘をついてお墓参りに行かなかった。
かと言って実家に帰ったわけでもなく。
アルバイトがお盆休みなのをエンジョイすべく、かつ8月の頭と7月末に長く帰省していたので、一人暮らしの家に引きこもってカムカムエヴリバディを見て稔さんに狂っていた。けっこう楽しかった。
去年の夏、ちょうど一年前。
18祭に行き、就活をし、面接の為実家に帰ったら私の大好きだった温かい空気はなくなり、息が詰まるようだった。父親が私の人生に踏み込んで心をグサグサにした。ひどいことを言われた。あんたの人生じゃねーんだよ、と思った。母親と行く予定だった花火大会も、母親が自分は行くべきでないと考えて一緒に行けなかった。せっかく取れたチケット、友人を誘ったが当日微熱が出て来られず、一人で行った。だがしかし日本三大花火も、関ジャニ∞と見た花火には敵わなかった。
この三連休、ついに母親と弟と祖父母と猫が暮らす古新居に行ってきた。ごはんをたくさん食べて、畳の部屋でお昼寝をし、猫を愛で、本を読み、祖母と一緒に苺ジャムを作った。猫の毛がボサボサになっていて、老いているのが見てとれた。帰る直前、お金のことで少し喧嘩した。
帰ってきたら祖父から「金の切れ目が縁の切れ目だよ、母が悲しんでいた」というラインが届いた。母親は、私と縁を切ってしまうのだろうか。不安になった。なんとなく母親とのラインを見返していたら、大学の卒業式の日のラインに行き当たった。心のなかではずっと応援してるから。そう書いてあった。その時の言葉を、私はまだ信じていいのだろうか。
一年前の夏から、実家が楽しいところばかりではなくなってしまった。親から愛されていないわけではない。毎日朝ごはんが出てきたし、自分の部屋を持ち、自転車に乗れるように練習し、週末はお出かけして、お正月はごちそうを食べて、いとこと遊んで、親戚からお小遣いをもらっていた。習い事に通い、大学を卒業させてもらった。充分すぎるほど心血を注いで育ててもらって、人並み以上に幸せなはずなのに、他人の家が眩しく輝いて見える。実家に帰るのを楽しみにしている友人が羨ましい。
高校生の時に不登校だったところから、歪み始めたのかもしれない。あれから父親と話すとき、気を遣って疲れてしまう自分がいる。母親が別居してからは、家族全員に気を遣うようになってしまった。父親には祖父母のことを、母と祖父には父親のことを、それぞれ話さないようにしながら。
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