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恐竜が為せなかったことに挑戦しているのだとしたら

どうせ"終わる"命に意味はあるのか。
この問いはわたしが中学生の頃から常に身近にあるものだった。
この問いにぶち当たる人がどれくらいいるのか、わたしにとっては当たり前の問いなのでついみんな考えるものだろうと思ってしまうけれど、ぶち当たらずにいられる人もいるのかもしれない。そちらの人の方が大半なのかもしれない。
でも、わたしにとってこの問いは毎日でも顔を出す常連さん、いやもっと身近な毎日話していても話題が尽きない友人のような存在だ。けれど決して、一緒にいて明るくなれるような友人ではない。うんうんと頭を捻っても答えの出ない時間を過ごしてきてしまった。

「どうせ"終わる"命」それは、自分のことだけではない。
他の誰か、ということでもなく、この世界に存在する生命全てのことだ。
やがて太陽は"終わり"を迎える。
その頃には、地球は太陽に吸収され、生命どころの話ではないだろう。
それなのに"少子化"は問題視され続ける。
その度に「どうせ"終わる"命に意味はあるのか」が顔を覗かせる。
「困るのは人類だけなのに」と。

けれど、これは太陽系の挑戦なのかもしれないし、宇宙の挑戦なのかもしれない。

宇宙の中の太陽系の中の地球という惑星に生命が誕生した。
地球はこれまでの歴史の中で、5回大量絶滅を繰り返していると言われている。
大量絶滅の代表格は恐竜だろう。かつてこの地上は恐竜の世界だった。
ある日隕石が落下したことで、恐竜の世界は終わり、その後人類の世界へと変化していった。
今、地球は人類が支配している。
人類は発達した頭脳を駆使して地球の外に出ることに成功した。
宇宙はどうなっているのか、地球の外で人類が存続できる環境はあるのか、地球には過去何が起こったのか、地球とは宇宙とは何なのか、研究の結果様々なことを知ることができたし、今も研究は続けられている。
そういった研究は、人類の果てなき探究心であり、人類のためのものだと思っていたんだ。だから、たとえ今隕石が降ってこなかったとしても、いずれ地球は"終わる"のに、"太陽"も終わるのにと、と思わずにはいられなかった。
それでも生きる意味はあるのか、と。
どうして繋ぐことをやめないのか、と。
終わることが決まっているのにどうして生命は繁殖し続けるのだろう。
これは「死ぬことが決まっているのになぜ生まれて生きるのだろう」という、
ひとつの命に対しての問いより生命の仕組みに対する問いだ。
こんな問いを中学生の頃から持ち続けて、答えのないまま、答える術も見つけられないまま、ここまで過ごしてしまった。

特に今も答えが見つかったわけではないのだけれど、
もし人類が、絶滅に抗うために宇宙の外へ行こうとしているのなら、太陽が終わりを迎えたとしても太陽系の中で生まれた生命が太陽系外で存続し、太陽系の歴史を語り継ぐことがあるのだとしたら、それは地球という惑星の成功、太陽という恒星の快挙なのかもしれない、と思ってみた。

星も、生まれては終わりを迎え、そこから新たな星が生まれる。生命と同じだ。
全ては輪廻の話で、「なぜ」と問うのなら、宇宙のことわりから問わなければいけなくなっていつも話は逸れていく。科学者でも何でもない、ただ地べたを這いずり回って生きているような一般人には難題すぎるんだ。

ただ、人類が地球の外に出ることは、人類の夢で、人類がボロボロにした地球を捨て新天地へ行きたいからなのだと思っていたけれど、そうではなくて地球の成功・太陽の快挙、そういうもっと大規模な話なのだと思えたら、人間として生きることにも意味があるような気がしてきたんだ。

もちろん、私という人間は、科学的な研究には縁遠い、全く畑違いのところにいる。それでも、このちっぽけな命ひとつが、バタフライエフェクトとして作用できているかもしれないと厚かましくも思えたら、生きてみてもいいのかもしれない、と思えた。

どうせ"終わる"命に意味はあるのか。
この命に意味があるのかないのかは分からない。命ひとつを取ったら本当にちっぽけだ。できることなんて些細なことでしかない。それなのに、些細なことの中にも、やりたい・やりたくない、できる・できない、向き・不向き、考え出したら途方に暮れそうな問題が山積みだから嫌になる。その上、命に意味はないのだと言われたらますます嫌になる。
ではなぜ生まれるのか?
生きろと言われなければいけないのか?
何のために……とまた途方に暮れそうになる。
でも人類が、恐竜が為せなかったことに挑戦しているのだとしたら、恐竜が迎えた末路、太陽が迎える終焉、いつか来る"終わり"に抗うというのなら、私も与えられた"生"に抗ってみてもいいのかもしれないと思えた。

そして、これは私の好きな図書の結びにも通ずるものがあると思った。

つまり、やがて来る暗闇を前に、一族の運命を少しでも明るくしようとする、ちっちゃな動物の儚い努力に、あきらめず、協力しなくてはいけないという衝動にかられる。
だから、絶望してはいけない。地球は存在し、生命はまだ生きている。

『超圧縮 地球生物全史』ヘンリー・ジー 著/竹内薫 訳/ダイヤモンド社

美しい文章で地球の生命の歴史を凝縮して語られている一冊だ。
注釈だけで70頁ほどもあるので読むのは少々大変だけれど、文体や表現が魅力的なので、新しい角度で地球の歴史を眺めることができるおすすめの一冊。

この図書は一族の未来の話で締められているのだけれど、前述した通り、私は地球規模、太陽系の規模で考えた方が、明るいような気がしたんだ。
太陽系代表の生命として、どこかで生き続けることができるのなら、太陽にも意味があったのだと。

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