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ぶらす! ~彼女たちの奏でるビューティフルハーモニー~第5話

【練習番号D-2】陰謀②

生徒会長が生徒会室に戻ると、新聞部の部長が作業をしている姿が目に止まった。

「なんや、もう来とったんどすか」

「ああ、生徒会長。やっと戻ったのね。このまま放置されたらどうしようかと思ったわよ」

「そないな事するわけあらへんやろう。そやけど、石神井恵美はあと30分は来やしまへん。それまであんたに根っこが生えなええんどすけど」

「ははは。ここは居心地が良いからねえ。それよりも生徒会長、ずいぶんと石神井恵美にご執心のようじゃない。御自ら、石神井を迎えに行くなんて、珍しいじゃない。その真意を詮索するつもりはないけど、彼女に個人的に訊いておきたいことがあるなら、訊いておくけど?」

「あんたが何を勘違いしてるのか知らへんけど、特にはあらへんな。彼女に個人的な興味があるわけではあらへん」

「ふーん。まあ、そういうことにしておきましょ。じゃ、石神井恵美が来たら、勝手に始めちゃっていいよね?」

「好きにすればええどす。執行部役員はこれから打ち合わせに入るさかい、立ち会うことは出来ひん思う」

「相変わらずお忙しいことで。生徒会室に新聞部の出張所置こうかしらね。人数少ないから難しいけど、それだけの価値はありそうだし。新入生の勧誘、今年は頑張っちゃおうっかなー」

「執行部のゴシップ狙っても無理どすえ。執行部で部活の統制も行っていることをお忘れなく。学校新聞として価値のない記事を連発したら、何とでも理由つけて、生徒会長令で活動範囲を制限することも可能なんどすえ」

「おお怖。生徒会長は、歴代の生徒会長の中で、生徒会長令発布数断トツだからねえ。でも大丈夫よ。ゴシップなんて低俗なネタで人気とろうなんて考えてないから。私たち新聞部が目指しているのは、刹那的だったり即物的でなく、有益で価値ある情報を読者に提供する、飽くまで中立な立場での正統派ジャーナリズムなんで。学校新聞コンクールでも、毎年良いところまでいってのよ」

「それは頼もしいことどすな。実績上がったら、予算も上がるさかい、精々おきばりやす」

「へいへい。それに、部員数も予算と関連してるんでしょ? 予算上がったら、有名なジャーナリストとか小説家のセミナー、受けてみたいのよね。そこいくと、吹奏楽部は良いよなあ。人数が多いのはもちろん、新入生の勧誘の為に、文化部だけでなく、全ての部活で唯一、公の場でのパフォーマンスが認められてるんだからね。毎年、文化部連名で抗議書出してるけど、うん十年無視され続けてるし。運動部は一年生に纏めて声をかけられるからって、黙認決め込んで頼りにならないけど。そもそも、この既得権益、ちゃんと生徒会規則で認められてるんでしょうね? 生徒会執行部と吹奏楽部との間に“癒着”や“談合”でもあったら、それこそ記事にせざるをえないんですがね」

「もともとは、生徒会長令で『特例措置』として許されたものらしおすな。ただ、今年はうちが生徒会長になった以上、トラブルの元をそのままにしておくつもりはないよって」

「え!? それって、今年は吹奏楽部の新入生勧誘演奏はないってこと? 公式見解? そういう重要なことは、事前にプレスリリース出してもらわないと・・・」

「それをこれから決めるんどす。うちらはこれからミーティングに入るさかい、立ち話はこのへんで。ほな」

藤原は素っ気なくそう言うと、「ちょ、ちょっと! 生徒会長!」という新聞部部長の必死の呼びかけも虚しく、「これからミーティングや。役員は、みんな集まってな」と役員に招集をかけ、自分のデスクに戻っていった。

「チッ! 無視しやがった。それにしても、吹奏楽部の新入生勧誘演奏が生徒会長令で中止ともなれば、吹奏楽部が黙っちゃいませんな。これは一波乱ありそうね」

茶色いブルーライト・カット眼鏡のレンズの奥で、新聞部部長は目を細めた。


執行部役員が自分のデスクの周囲に集まったことを確認すると、藤原は話しを切り出した。

「みんなに急に集まってもらったのは、これからうちが出す生徒会長令の承認をしてもらいたいからどす」

藤原のその発言に、集まった役員たちに、困惑の表情が浮き上がった。

しかし書記は、困惑しながらも、議事録を作成するために、すかさずボイスレコーダーを取り出し、録音ボタンを押す。

「生徒会長令?! 新学期が始まってすぐの時期に?」

意見したのは副会長だった。

「そうや。何か問題でも? 生徒会長令は発布してすぐ効力が出るのんどすえ。当事者にもすぐに通知するさかい、明日にも生徒会長令に基づいた行動をしてもらう」

「明日? 明日って、何かありましたっけ?」

「新入生の本格的なロング・ホームルームと、部活動の新入生勧誘解禁」

副部長の疑問に対し、庶務係が答える。

「そこでや。知っての通り、吹奏楽部は新入生勧誘活動に当たり、公の場でのパフォーマンスが認められてます。今年は、生徒会長令によって、その特権を剥奪したい思てます」

瞬時にざわつく役員一同。

「生徒会長。それは、さすがに吹奏楽部が黙っていないんじゃ・・・」

副会長が心配そうな表情で呟く。

「関係あらしまへん。現に、毎年文化部は連名で抗議書を提出してますやろ。歴代の生徒会長はずっと黙殺し続けてきたけど、そろそろその悪しき慣習にメスを入れる時期やと思います。逆に考えてみとくれやす。今、吹奏楽部がそないな特権を執行部に認めさせようと提案してきたら、あんたらは許可するのん? しいひんやろう? 他の部活との公平性も保てへんし、昔は吹奏楽コンクールでもええ成績を収めとったそうどすけど、ここ20年以上、ろくに実績を上げてへん吹奏楽部に、これ以上特権を与えとく理由はあらしまへん」

「確かに。例えば伝統芸能部とか、文科省からも推薦もらってたり、F女は伝統芸能推進のモデル校にもなってます。だから、特例として、部員が少なく部活動として認められる部員を確保できていない年でも部活動として認め、予算も降りています。そんな伝統芸能部を差し置いて、吹奏楽部だけが部員確保のためのパフォーマンスを許されているというのは、公平性に欠けますね」

「まあ、その特権の上にあぐらをかいて、勧誘演奏をすることを当たり前のように思ってる吹奏楽部にも問題がありますね。ここ数年は実績も上がってきてはいるようですが、危機感が足りません」

「そうね。特別扱いをされたいなら、実力でそれを勝ち取るべきよね」

「しかも、人混み整理のために、うちからも人手出してるし。他にやること沢山あるのに」

「どないどすか? 吹奏楽部にこのまま特権を与えとく理由はあるんやのん?」

生徒会長がとどめの一言を発した。

「“今までそうだったから”という以外に、その理由はありません」

副会長が同意する。

「ほな、決を取る。吹奏楽部の新入生勧誘演奏差し止め案に、賛成の人」

役員全員、一斉に挙手する。

「決まりやな」

「はい」

「それではみなさん、只今の決議に意義のある役員はいませんか? ――いませんね。では、このタブレットに署名して下さい」

書記がタブレットPCを取り出し、役員一人ひとりに署名して回った。

「ほな、吹奏楽部の部長には、うちから連絡しとく」

「今、吹奏楽部は多分勧誘演奏の練習中だと思います」

「練習を無駄にしいひんためにも、早いほうがええやろう」

藤原は、吹奏楽部の部室の内線番号を確認すると、デスクに置かれている電話の受話器を取った。

3コール目に、吹奏楽部の副部長が電話に出た。

「徒会長執行部の藤原歩美どす。執行部で吹奏楽部に関する新しい決議採択されたさかい、部長に替わってもらえるのん?」

しばらくすると吹奏楽部の部長が電話に出て、藤原が要件を言い渡す。

「えげつない剣幕や」

受話器を置きながら藤原が呟く。

「でしょうね」と副部長。

「これから吹奏楽部の部長が抗議に来るさかい、みんなそのつもりで」

藤原が役員にそう言い渡した時、数回のノックの後、出入り口のドアが開いた。

一斉に出入り口のドアに注目する生徒会執行部役員たち。

もちろん、いくらなんでもこんなに早く吹奏楽部の部長が来るわけはないのだが、皆、反射的に見てしまったのだ。

「失礼します。石神井恵美です。新聞部の取材で生徒会室に来るように言われたのですが」

石神井がそう言うと、そのドアから一番近い位置に座っている新聞部の部長がすかさず返事をした。

「あー、石神井さんね。私、新聞部の部長の橘孝子です。一年の教室からだと校庭の斜向かい側にあるこんな遠くまで、わざわざ悪いわね。インタビューすぐ始めるから、どこでもいいんで、座ってもらえるかな。まあ、そんな緊張するようなこともないし、気楽に構えてもらって良いから」

「はい、ありがとうございます」

石神井はそう言って、新聞部部長の正面の椅子に座った。

「それじゃ、改めまして、私は新聞部の部長、橘孝子です。よろしくね。で、インタビュー中はボイスレコーダー回すけど、いいわね?」

「はい、大丈夫です」

「結構。ただ、ちょっと誓約書に署名してもらいたいんだ。一応誓約書の内容を簡単に言うと、今から話してもらう内容は、もちろん二次使用はしません。あと、ボイレコのデータは、バックアップのコピーも含め、一週間で消します。安心でしょ? でも、新聞という媒体の性格上、編集アップから印刷まで間がないから被取材者側のゲラチェックは出来ないので、自分が話した内容と違うとか、こちらの編集や構成にクレームがあったら、このインタビューの記事が出てから一週間以内、でね。一週間以内なら、ボイレコの記録と突き合わせて検証できるから。よろしい?」

橘は、用意してあった誓約書を石神井に渡し、一読してもらってから署名を促した。

「はい、誓約書はOKね。では、最初の質問。出身中学と、新入生代表として入学式で挨拶することを伝えられた時の感想を、訊かせてもらえるかな」

「出身中学は、私立女子学園中です。入学式で・・・」

石神井がそう言いかけた瞬間、部長がその先を遮った。

「女子学園中!? この辺じゃ、超名門のお嬢様学校じゃない! でも、女子学園は中高一貫校でしょう? エスカレーター式に高校行けるのに、なぜうちみたいな中級校を滑り止めで受験したの?」

「あはは。それはシンプルな答えです。欲張りすぎて、自分の偏差値に見合わない高大一貫教育の上流校受けて、あえなく撃沈しただけですね。うちの両親は医者なので、医者になるのなら高校も女子学園じゃ不利だからって」

「あ・・・そうなの・・・。それは失礼したわね。まあ、その話はオフレコってことで記事にはしないから・・・」

「いえいえ、大丈夫ですよ。第一志望落ちたのは事実ですし。大事なのは、自分が与えられた場でどれだけ成長できるかで、過去は変えられませんから」

「へえ。ずいぶんと達観してるのね。じゃあ、臆さず突っ込んで訊くけど、滑り止めにしても、うちよりもっと偏差値高い学校で、あなたの偏差値に見合った学校はいくらでもあるじゃない? そこで、なぜ敢えて滑り止めをうちの高校にしたの?」

「F女は、確かに偏差値的には中級ランクですが、カリキュラムは充実していて、進学率は高いですし、それに、私、勉強以外のことにも価値を見出したましたので、F女なら、そっちにも力を割けるんじゃないかと思いまして」

「ああ、それ、新入生代表の挨拶で言ってたわね。で、勉強以外に価値を見出した活動って、何なのかしら?」

「えっと、あの、さっきの質問の、入学式で新入生代表の挨拶をすることを伝えられた時の感想は・・・」

「いやいや、もうそんな形式的な質問はどうでもいいのよ。私は、あなたの内面をもっと引き出したくなったの。で、あなたは、この学校で勉強以外の何に力を注ぎたいの?」

「吹奏楽部です」

「吹奏楽? 部活の?」

「はい」

「そう、なんだ。ということは、新入生代表の挨拶で言ってた、『勉強一筋の考えを改めさせた中学2年のある出会い』ってのも、吹奏楽がらみ?」

橘は、パソコンに入力した新入生代表あいさつの文字起こしを確認しながら質問した。

「そうですね。もしかすると私、中二病だったのかもしれませんけど」

「へーえ。でも、中二で人生を左右するような決定を下させる出会いがあるなんて、なんかロマンチックね」

「そうかもしれませんね。私自身、両親からずっと勉強だけが人生を豊かにする目標みたいに言われて来て、勉強以外のことに価値を見出すなんて思ってもいませんでしたから。でも、勉強は頑張ればいつでもできますが、人との出会いとか、部活動とかは、出来る時間が限られていますから。“期間限定”という意味では、そういうことの方が価値があるんじゃないか?って。そんな風に確信しちゃったんですよ。やっぱり、中二病ですね」

「考えてみれば、私がジャーナリズムに目覚めたのも、中2くらいだったかなあ。なにかの本で読んだのだけれど、いや、ドラマの台詞だったかな。とにかくそれによると、それまで親くらいしか親密に係わることがなかったのが、中2くらいになると、交友関係が広がって視野が広くなって社会性が生まれ、成長期のホルモンバランスとの関係もあって、新しく接する世界が実際以上に素晴らしく思えて、極めて強く感化されちゃうそうよ。あなたにとっては、それが、“その人”との出会いだったのかもね」

「そうなんですね。確かに、中2の時の私は、勉強以外の世界を知りませんでしたけど、その出会いで、勉強以外にも、誠心誠意打ち込む価値があることが存在することを教えられました」

石神井がそこまで話すと、出入り口のドアがノックもなしに突然開き、一人の生徒が入ってきた。

「生徒会長は? 生徒会長はどこ?」

その生徒は、廊下を走ってきたのか、息を切らせてはぁはぁしながら大声で叫んだ。

入ってきたのは、制服のリボンの学年色から三年生であることが石神井には分かった。

「あ、お出でなすった」

橘が誰にともなく呟く。

すると、パーティションの仕切りの後ろから、

「大声でキンキンとやかましおすなぁ。うちはここにいてはるで。逃げも隠れもしまへん」

生徒会長がそう言いながら顔を出した。

すると、その三年生は、ツカツカと生徒会長に歩み寄って行った。

「あ、えっと、彼女は吹奏楽部の部長。あなたは吹奏楽部に入部するようだから、無関係ではなさそうなので教えとく」

「そうなんですか。なんか、ずいぶん怒ってるようですけど」

「まあ、彼女たちの話し聞いてれば分かるわ」

「生徒会長! こういうことは、事前に私たちに相談があってもいいと思うんですけど! もう準備も整ってますし、なんで、こんな直前になって・・・」

「ここではギャラリーもおるさかい、向こうで話し合いまひょ」

生徒会長が吹奏楽部の部長をそうたしなめると、今まで見えていなかったものを発見でもしたような表情で、吹奏楽部の部長が石神井たちの方を見た。

「分かったわ。そうしましょう」

吹奏楽部の部長が同意すると、二人してパーティションとなっているカーテンの向こう側に消えていった。

「ふう。この様子じゃ、しばらくは五月蝿くてインタビューにならないから、事情だけ話しておいてあげるわね」

橘は、ここで聞いていた生徒会執行部役員たちのミーティングの内容を石神井に話した。

「それは酷いじゃないですか」

そう言う石神井の表情から、彼女が憤っているのが橘にははっきりとわかった。

「吹奏楽部視点からは、当然そうなるわね。あなたの言いたいことは分かるわ。でもね、吹奏楽部にそのような特権があることが、文化部のパワーバランスというか統率を乱しているのも事実。生徒会長としては、その事実を看過しておくわけにはいかないのよ。特に、この生徒会長はね。執行部役員メンバーも、今の生徒会長のイエス・マンばかりだし。どお? 吹奏楽部もいいけど、生徒会執行部に入って反旗を翻し、今の体制を覆すってのは。なぜだか知らないけど、生徒会長はあなたに興味があるみたいだし。ここは執行部に取り入るチャンスじゃない?」

「いえ、私には吹奏楽部に入ってやることがあります。そのために、この学校に来たんですから。生徒会長の独善は許せませんけど、まずは吹奏楽部のこの窮地を救って、生徒会長の鼻をへし折ってやりたいです」

石神井は、一点を見つめながら厳しい表情でそう言い放った。

「おお、威勢のいいこと。でも、どうすんの? 生徒会長令は絶対よ。取り下げさせるにも、生徒会長本人が納得するか、役員全員の署名付きの取り下げ要求出すしかないわ」

「なら、生徒会長本人を納得させるまでです。役員全員を説得するより効率的ですから」

石神井は、パーティションのカーテンの方を厳しい目で見て言った。

「確かにそれはそうだけど、生徒会長本人を納得させるったって、それこそ無理よ。生徒会長令は、即時的に効力を発揮するとはいえ、明日行われる吹奏楽部の新入生勧誘演奏の中止要求でしょう? いくらなんでも性急過ぎるわよ。このタイミングで生徒会長令を出してくるってことは、生徒会長には、何か魂胆があるのよ」

「魂胆?」

石神井の眉間に、一筋の皺が寄った。

「ええ。表向きはさっきも言ったようなことだけど、吹奏楽部の活動に制限を与えることで、生徒会長にとって他に何かメリットがあるんだわ。要するに、一石二鳥って訳」

「裏の目的を達成するために、こんな急に吹奏楽部の勧誘演奏を中止する生徒会長令を出したって言うんですか?」

「恐らくは」

「裏の目的・・・吹奏楽部・・・私を生徒会執行部に入れる・・・私は執行部ではなく吹奏楽部に入りたい・・・」

「どした? 何か閃いた?」

橘がデスク越しに石神井の方に見の乗り出す。

「分かりました。多分、これしかありません」

「ほほう。さすが優等生。私にゃチンプンカンプンだけれども」

新聞部の部長が両手を広げて、「降参」のジェスチャーをする。

そのとき、パーティションの裏側から吹奏楽部の部長が出て来ると、振り向きざまに

「それでは、これから部員と話し合って、明日の朝、正式に抗議文をお持ちします。明日がダメでも、残り二日、いや、一日でも、勧誘演奏はさせていただけるようにしますから。では」

そう言って、一気に出入り口のドアまで歩き、生徒会室から出ていった。

「タイムリミットは、明日の朝ね。勧誘演奏は、三日間、フルでやらせてもらうから」

彼女のその姿を目で追っていた石神井は、厳しい顔をして独りごちた。

新聞部の部長は、石神井のその表情を黙って見ていたが、その顔は、「こりゃ面白くなってきたぞ」という期待感で仄かに紅潮していた。


――エピローグ

「あー、いい天気」

新聞部の部長・橘孝子は、前日に行った石神井恵美へのインタビュー記事の編集が一段落付いた合間に、休憩がてら、バルコニーに出て、外を眺めた。

孝子は、ここからの眺めが好きだった。

F女は、この辺では少し高台にあるで、本校舎側からだと、市内の街並みが一望できる。

本校舎の丁度裏手にある文化部の部室棟からは、市内はあまり見えないが、都市開発から取り残された、自然豊かな田舎の風景と、隣県との境に流れている河川、そしてその河川に架かる鉄道橋が一望できた。

「橘先輩、橘先輩ってば!」

その鉄橋上で、白い列車と茶色い列車が交差するのを見ていた孝子は、背後から自分の名がよばれていることに気づいた。

振り向くと、副編集長の二年生、伊藤琴音が突っ立っていた。

「先輩、一体どうしちゃったんですか? 昨日は、いきなり私たちを先に帰らせて部室には戻らなかったと思ったら、朝、あんな長文の原稿をいきなり入稿してくるなんて。予定の倍くらいあったじゃないですか」

「そうカリカリしなさんなって。企画には、次号に回しても良いのや字数を減らして良いものもあるし、紙面の工面は何とでもつくから」

「そういうことを言ってるんじゃないんです。私は、紙面全体のバランスのことを言っているんです。これじゃまるで、新入生代表の挨拶をした石神井恵美大特集ですよ」

そう難色を示す伊藤に、橘は「あはは」とあっけらかんと笑う。

「そう言いなさんなって。その代わり、記事の内容はバッチリでしょ? 教育的にも有意義な記事になったと思うわ。新入生だけでなく、二年生、そしてとりわけ受験が控えている三年生にとっても、自分の人生や将来を考えるにあたって、意義があるはずよ」

「それは、認めますけど・・・」

うなづきながら、伊藤は橘が首から掛けている、彼女がパソコンを使うときだけ掛けるブルーライト・カット眼鏡を見た。

「それよりさあ、たまにはこうして一旦立ち止まって、周囲の環境に身を任せるのも大切よ」

橘はそう言うと、伊藤から視線を外して向き直り、風景鑑賞を再開した。

「まあ、締切までにはまだ時間ありますし、作業効率を上げるためにも、こまめな休憩は必要ですね」

橘の背中に語りかける伊藤。

「それよりさ、君にもこの音色ねいろが聞こえているでしょ?」

「音色? ああ、吹奏楽部の新入生勧誘演奏、ここまで聞こえてくるんですよね」

「そのことについてだが、私は君に、いや、新聞部に一つ、謝らなければいけないことがある」

「謝りたいこと? 先輩が?」

「そう。私は、ある筋から重要なネタを仕入れたのだが、それをもみ消した」

「え、それって、スクープ記事の掲載を自粛したってことですか? いつの話ですか?」

「いつというか、うーん、現在進行形? 時制的には“しなかった”というより“していない”が正しいかな」

「なんですか、それ。だったら、新聞の構成変えて、ベタ記事でも今からどこかにねじ込みましょうよ」

「しないよ。多分、もうその件は、解決したと思うから」

「問題が解決したにしても、そういう事実があったことは確かなんですよね? それなら・・・」

「くどいぞ伊藤琴音。そのことについて、私は謝罪した。それでこの話は終了。それより、君はこの曲が何という曲か、知ってるかい?」

「ああ、なんか威勢の良い曲ですが、知らないです」

「おーい、伊藤。この曲は、スーザの《星条旗よ永遠なれ》でしょうが。行進曲の中では最も知られた曲で、アメリカでは第二の国歌と言われているような曲だぞ。音楽に疎いにも程があるな。確かに受験には関係ない知識だが、勉強が全てじゃない。学校の勉強以外にも、知っているのが当然という知識があるんだ。そういう知識を“教養”という。学校新聞とはいえ、新聞の記事を書いているような人間が知らないのは論外だ。身の回りのことに興味がない証拠だからな。“教養”がないとは、そういうことなんだよ。身の回りのことに常に興味を持ってアンテナを張っておけば、その中から新聞の記事になるようなことも出てくるだろう? それに教養は、人生を豊かにしてくれる」

「すみません。そうですね」

「《星条旗よ永遠なれ》《展覧会の絵》そして、確か《トランペット吹きの休日》だったかな。吹奏楽部が演奏するのはその3曲よ」

「あ、部長。もう吹奏楽部に取材したんですか? でも、おかしいな。次の新聞が出る頃にはもう殆どの新入生が部活決めちゃってますし、そもそも一部活――しかも憎き吹奏楽部――の勧誘活動に有利になるような広告記事は書かないことになってますよね?」

「もちろん書かないさ。てか、さっきも言ったけど、このくらいの有名曲は、聴いて曲名分かるようじゃないとな。“教養”なさすぎ。知らなかったら、記事にするしないは別にして、その辺で吹奏楽部員の誰かつかまえて、曲名訊くくらいのことしないと。3月になってからずっと吹奏楽部は練習してんだからさあ」

「分かりました。覚えておきます」

ちょっと気軽に橘に声を掛けただけなのに、散々教養の無さを咎められた伊藤は、肩を落として部室に戻っていった。

吹奏楽部の新入生勧誘演奏は、既に《展覧会の絵》の最終部分に入っていた。

「どうやら石神井さん、生徒会長の説得に成功したみたいね。どんな魔法を使ったのか知らないけど、かなりの“やり手”のようね。取材対象としてだけでなく、人間としての彼女にも、ますます興味が出てきたわ」

橘孝子は、心地よい音色を耳にしながら、青空に一筋、細く伸びた真っ白い飛行機雲をしばらく見つめていた。


つづく。

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