たまには日記でも 20230709 インプットとアウトプット

たまには日記でも書こうかなと思う。

何というか、頭で色々な事を考えすぎて溢れそう〜。ってなっている。みんなもある?そういう時。よく分からないけど、同じ悩みを持っている人は少ないっぽい。なんかインプット過多な感じがあるんだよね。

桜井政博さんがYouTubeチャンネルでインプットもアウトプットも太くと言っていた。必要な事だと思う。特にアウトプット。アウトプットがなされないと良質なインプットも出来ないんじゃないかと思う。

例えば僕は合唱を大学生からざっくり10年くらいやったのだけれど、歌を真面目にやったりした事で、初めて歌手の上手い下手がそれなりに判断できるようになった気がする。昔は歌手の上手い下手、高い声が出るか早口をいかに出来るかとかなんか荒い指標でしか測れなかった気がする。

今では山口百恵の歌を聴いた時にちゃんと鼻濁音やっているな〜とか、ディナーミクだのアゴーギグだのレガートだのの基準でも測れるようになったなと思う。

というわけで、アウトプットをしなければインプットの分解能が上がらないなぁと思うわけで。インプットしたものの整理も脳内でつかないなぁと思うわけで。脳内でぐるぐる回っているものを吐き出していく。

昨今、インプットがありえないくらい増えている事を感じる。可処分時間なる概念も聞くことが増えた気がする。スマホの登場を契機に、tiktokに代表されるショート動画なるものも、より我々の可処分時間に侵入し尽くしてくる感じがある。

間違いなく最近、さて本を読み切るぞ、という感覚がなくなってしまった。小説を最後に読んだのはいつだ?読書メーターで確認したら2年近く前に読んだイスカリユバ先生の「人間たちの話」だった。短編か、、、その前はと振り返っていると5年前のイシグロカズオの「私を離さないで」だった。じゃあその間の本はというと、無限に経済学の本やビジネス書を読んでいた。私は社会人になってしまったのだな。

大学生の時には通学時間が電車だけで1時間あり、その頃はまだスマホの性能が少し雑魚かったので、スマホがガッツリ侵食してきている感じはまだ無かった。また名古屋市営地下鉄が電波完備されるようになったのも、大学の途中からなのでしょうがなく小説を読んでいた。いまやその時間はない。

厳密に言えば今はほぼバス通勤みたいなものなので本を読めないこともないのだが、すでにスマホ視聴の習慣が可処分時間を喰らい尽くす状態となっていた。ギリギリのところで踏ん張って、YouTubeの単発動画ではなく、話題のアニメ例えば天国大魔境を観ながら通勤をしている。まあ家ではYouTubeの単発動画を消化してしまっているが。

一応話題のビジネス書はこなすことはしようとしている。それはKindle Unlimitedで読書の場合もあったのだが、今はフェルミ研究所の倍速再生で済ませてしまうことも増えてきてしまっている。最近はコンテンツ消化への苦しさが強まっている。

皆さんはドラクエの洞窟探索で、分かれ道で正解を引き出口にすぐ着いた時に、アタリと思ったか、ハズレと思ったか。私は後者である。片っ端から宝箱を開けないと気になる性分で、今だとメールの未読が溜まるとモヤモヤするタイプである。

そう言った感じなので、フォローしているYouTubeチャンネルは更新すると必ず観ないといけないので、たまに間引く必要がある。間引いても新しいYouTubeチャンネルが侵入してくるので、結局は可処分時間は埋め尽くされたままだ。パーキンソン第一の法則「仕事の量は、完成期限までに与えられた時間を全て満たすように拡大する」に逆らえずにいる。

妙に知的欲求みたいなものは強いので、クイズノックだのカプリティオチャンネルだのをフォローすることで罪悪感を減らしている。簿記系YouTuberのふくしままさのりも、非常に分かりやすいので彼に私の可処分時間を喰ってもらおうと思うのだが、一動画の時間が40分を平気で超えてくるので、小分けにして欲しい。20分くらいの動画ならハードル下がるのになぁと思う。ちゃんと勉強になる系のYouTuber、教えてください。どちらかというとビジネス系がベター。

結局インプットの話になってしまった。インプットで何者かを語る事は難しいので、やはりこういうアウトプットが必要だよね。今死んだら遺作になるのはこれ。遺作は定期的にアップロードしなきゃね。みんなも作ろう!遺作!

1820文字ですってこの日記。読書感想文の量じゃん。

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