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ワイルドスピード長浜ツアー (下) 豊かさは作れる?の巻


滋賀の土地そのものの力強さを思い知らされた1日目。それぞれの宿駅では歴史の残り香に息を飲んだ。例に及んで、半ば走るように急ぎ足で回った醒井、柏原、木之本に長浜(黒壁スクエア)...観光地としてはやはりこのご時世で、どこも人の入りは少ないが、「私ら江戸時代から続いてる宿場町ですけど?」という顔つきをしている。立派な商家の梁のごとく、歴史が太く横たわっている宿駅は、今や本来の宿としてどれだけ機能しているかすらも怪しくても、決して「寂れた」なんて言わせない。消化どころか咀嚼もままならないまま、2日目は近江八幡の「ラ コリーナ」へ。

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この場所までたどり着く途中に、Googleマップで調べた外観を携帯の小さな画面で見ていたが、単調な山道の中に突如現れるこの存在感は、目の前にすると圧倒される。むしろちょっと引くくらいが正常な反応だ。しかしひとたびこののどかな世界に包まれると、やっぱり誰もかれも頷かずにはいられない。店舗に使われる木は周辺の山から切り出し、園内に広がる田畑はスタッフの手で育まれたもの。必要なだけの誘導係を配置し、最低限の導線を引いただけの、自然と溶け合う商業施設。

雨樋がないため、降り注いだ雨は屋根から地面へそのまま滴りきらめく。中央は一見、あたり一面の緑が整備されているようで、よく見ると真っ赤な紫蘇みたいな枝が無造作に伸びて際立つ。虫も施設内をのびのびと飛び回り、ひび割れた木のテーブルはドリンクを置くのに少々心もとない。「あり合わせ」と呼ばれてしまいそうな設備だが、その中には、彼らの届けたいものの核心が込められている。その場にあるもの、今目の前に広がるもの、まさしくあり合わせによる自然な重なりの上に私たちは立っている。そんなごく当たり前のことが、問屋すらそうはおろせない世の中。だからこそ、誰もがこの物語を非言語で体験できる場所に、こぞって足を伸ばしたくなるのだと考えた。
ラ コリーナは、このコロナの状況下でも自分たちが提唱する幸せの形を莫大なスケールで体現していて、その潔さには、終始開いた口が塞がらなかった。



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近江の名前を背負い、土地の名品を全国へ広げてきた商人たちは、今でいうところのグローバル人材として、一目置かれていたかもしれない。一方、この地域の地形に沿って脈々と受け継がれる伝統産業もまた高く評価されてきた。だから、近江商人たちが、自然豊かな故郷の土地の利を見限って国の外へ視野を広げたかというと決してそうではない。むしろその逆だ。

古くから、文化と生活インフラ、それぞれの交流地点であった近江の商売人は、(今でこそ文化芸術や余暇活動は不要不急と呼ばれるが、そもそも当時に文化と文明を別とする発想があったんだろうか)自分一人だけで商いが回って食べていけているなんて思っていない。自然の恩恵やそこに携わる多くの人の営みの上に、自分の商売がやっと成り立っていることを深く理解していたはずだ。今、私たちはどうだろう。米を作る、屋根を組む、子を育てる、その日の終わりには酒を片手に歌い踊る。人間の基盤となる活動はほとんどが分業されている。ただでさえ、見えない相手から仕入れた商品を知らない誰かに売るのが当たり前になった世の中。私たちの提供しあう価値とはどこから生まれ、どこへ行き着くか、明確に説明できるだろうか。


幸せのものさしが揺れているいま、「これが私たちの届けたい幸せの形です!!」と表現し、そこに集まる賛同と支援で回る原義の意味の経済は、やっぱり巻き込まれる側も気持ちが良い。大なり小なり、場を持つものなら誰しもが立ち止まる課題をすがすがしく打ち破るたねやのスタイルは、顕微鏡で見えるレベルでもいいから、私にも変えられる世界があるのかも、と奮い立たせてくれる。

観光地としてはしばらくていをなせていない門司港、補助金でかろうじてつながった細い糸も今にもちぎれそうで、私も思わず存在理由を探してしまう。私たちはバームクーヘンは作らないし、たねやのビジネスモデルを参考にするような事業規模にはまだ及ばないけれど、大切にしたいものをブレずに昼夜問わず提供する、という部分だけは同じ土俵に立って考えられる。価値を一方的に届けるだけでは、長期的な関係を築いていくことはできない。生産と消費の二項対立に巻き込まれるより、自分と世の中と、それぞれの循環のどこかに、電卓じゃ計算できない存在価値を投げかけていたい。人里離れた山奥だろうと、都会の雑踏だろうと、求めるもの同士は勝手に引き合う。私はいつでもその交流地点の整備、導線を作ることにだけ尽力していたらいいんじゃないか。

私は私で、ポルトはポルトとして、こうして幸せの提案をし続けていきたい。ラ コリーナを後にして次の場所へ行く車の中で、ポルトに来てくれる人たちを思い出した。初めこそ空っぽの箱だったものが、スタッフ、近所の人、ゲストさん、今では多くの人が、それぞれの意味をつけて愛しくその名を呼んでくれている。ポルトの存在の理由は、訪れる人それぞれが決めることだ。

隙あらば自分一人で船を漕ぎ出したいとは常々思っているけれど、旅立つための船を少しずつ作りながら、ポルトが絶え間なく必要とされるため、長く走れるための循環を意識してみようと強く思うようになった。
さらには、すれ違うヨットやマグロ漁船(今回の旅ではマグロ漁船の船長によくお会いした気がする)、クルーズ船や巨大タンカーの人たちと一人一人ハイタッチしながら進めば、船が沈んでも誰一人死なないのでは。
まちの灯りがとてもキレイなブルーオーシャン・ナガハマの視察から始まり、
深夜の神戸・灘中央市場で目の当たりにした最高品質のクオリティオブライフ、
紙と木と巨大な煙突でアメリカ大陸と繋がっている愛媛・四国中央の製紙業...。
それぞれのまちが持つ「海」の魅力をワイルドスピードで体感した3日間。お世話になった皆様、本当にありがとうございました。



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