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Do you enjoy your life? の返し方

アイルランドはキルケニーの、人里離れた村、キニティーのパブで掃除と店番を任されていた2018年の暖かい1月。
「Enjoy your life!」
毎日必ず店に来る村人たちも、オーナーのキエロンも、近所に住む同い年のスーサンも、口をついて出てくるこのセリフに、私は何度も励まされた。


昼間は家の前の畑で、もしくは街へ出てのらりくらりと働き、その足でふらりとパブにやってきては好きなタイミングで好きなだけ飲んで帰る、そんな毎日を繰り返すおいちゃん達にとっての「enjoy」は、
私が日本で耳にする「エンジョイ」よりも質量があり、その後ろには深い影がつきまとっていた。いっぽう「life」はカタカナで音になる「ライフ」よりもあっけない響きがする。日本でよく耳にする「ライフ」とか「人生」といった、ちょっと気取った生命の表現は、アイルランドには見当たらない。Enjoyを辞書で「楽しむ」と引くか「享受する」と引くか、Lifeの単語を「日々」と捉えるか「いのち」と捉えるか、それぞれの効果の違いはまた別の機会に考えるとして。学校の授業を修了し、友達とのくだらない笑い話も終止符を打ち、世にはばかる私たちは、実用的な日本語ばかりに触れている。なのにいつまでたっても小学生が使うようなやさしい言葉につまずき、戸惑い、気づかされる。やさしい言葉は、シンプルに受け継がれているからこそ時と場所によって意味が違う。うまくいけば、アルファベットもカタカナも、鹿児島弁もエスペラント語も飛び越えて大気圏で一同に会するが、次の瞬間には星屑になっている。

「Do you enjoy your life?」

私が時々自分にたずねるこの問いは、3軒隣のよろず屋の店主、マイケルの声によって脳内再生されている。マイケルの店はその品揃えと店構えから、私は勝手に初期のたぬきち商店と呼んでいたが、ズブズブの村内コミュニティの中では珍しく適度な距離で立ち回りパブのことを俯瞰していた。
マイケルのことも、彼の営むたぬきち商店のことも十分に懐かしいが、そこに特別な郷愁を込めているわけではない。ましてや、別の誰かの人生と比べて落ち込むことも(今はもう)ない。
ただ時々、お前はちゃんと生きとるんか?と、自分の胸ぐらを掴んで聞きたくなる。そのとき私は、他者も過去も未来も出てこない、絶対的な私が身にまとう絶対的な今を問いただしている。

「ちゃんと生きる」って何をすることだろう。

経理のスタッフさんの愛娘 桜子を見ていて気づいたことがある。
早いものでもう3歳になる桜子は、あと20年もしたらミス下関になると信じているのだけれど、こないだはカチューシャとネックレスと、たくさんの指輪をはめて、ピカピカ発光する靴とフリフリのスカートを履いてやってきた。でも、遊んでいるうちにしょっちゅうネックレスをどこかにやってしまって、こないだはパパに怒られたらしい。
そんな話をほのぼのと聞いていて思ったことには、人間って、あれもこれもと「手に取る理由」には際限がないが、「手放す理由」の方が明確で、止むを得ない納得感がある。だから一通り手に入れたら、一つずつ手放して、最後の一つが残ったときに初めて、一番美しくて大切な場所にたどり着けるのではないか。
このことは仕事にも、恋愛にも、世界平和にもなぞらえて言える。恥ずかしながら今こうして、睡眠時間を捨ててキーボードを必死で叩いている私にも同じことが言える。だって、寝なくてもご飯を食べなくてもなんとか生きられるけど、今書かないと私は「私として」即死する。

指を差して笑うそこのあなたと私にこそ言いたいのだけど、手に入れたものを捨てられず、身動きが取れなくなるその姿は、退屈だと呟きながらひたすらジェンガを組み続けるように滑稽だ。ジェンガは引っこ抜くときが一番楽しい瞬間なのに、組み上げるだけじゃどこまでいっても楽しくないよなあ。さらには標高3000mまで積み上げてしまったときには、一本でも引っこ抜くのが怖くなるだろう。「捨てられない自分」の存在は一番厄介だ。自分を捨てることは自分にしかできないから、捨てることは得ることより難しい、というのは本当みたいだ。

何を捨て何を残すか、そこに私たちのスタート地点があり、全てが始まっていく。そして時間をかけて掘削して、抽出して、やっと最後に残ったものが私の命の形だとすると、ちゃんと生きることってこの過程のことを呼ぶのではないだろうか。

実は、私の周りのアイリッシュが頻繁に使っていたセリフはもう一つある。ビールを片手に毎晩のように呟かれる、「My (f**king) life!」は、大体、奥さんへの愛ある皮肉とか、会社への愚痴の最後に、「まあ、俺の人生こんなもんさ!」といったニュアンスで繰り出されている。1日に雨、晴、雷、雪...と4つの天気を平然ともたらすこの国では、f*ckと言わずにやっていけない気持ちはわからなくもない。しかしそんな日々をけろっと受け入れて笑い飛ばす人々が好きだ。近頃全然使う機会のない英語にともなって、現地での思い出も年々忘れていくのに、彼らの聖書の行間にニヒリズムらしきものを年々強く感じるのはなぜだろう。アイルランドに生きる彼らにいま、「Do you enjoy your life ? 」と聞いてみたい。命の重さが違う国に生きる私たちは、彼らの答えに何かを教わる、または思い出せると思う。

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