書評:『なぜデジタル政府は失敗し続けるのか 消えた年金からコロナ対策まで』
本を読み始めたきっかけ
国の行政におけるDXについて諸外国の実情とそれに対する評価をこの2年間研究してきました。比較対象として日本の状況について書籍を含めて文献にあたりました。この本はその一つです。
この本は新型コロナウイルス(COVID-19)の対策として日本で行われた行政サービスでデジタル化が遅れていたという社会的にも騒がれた問題から始まります。
日本で行政サービスのデジタル改革(DX)が進まない要因としてはさまざまな論考がなされています。日経コンピュータから出ている『なぜデジタル政府は失敗し続けるのか』は、日本の行政におけるDX事例について新型コロナウイルス感染症関連のデジタル化の困難事例をまずとりあげ、それに至るまでのさまざまな事例について検討して、デジタル庁が抱える課題と期待について整理しています。
綿密な調査にによる資料に裏付けられた内容は圧巻で、学ぶべきところも多く、政策提言としてもまとまっていて読み応えのある本でした。
それを踏まえた上で、保健医療におけるデジタル化、行政でのデジタル化についてこれまで得た知見を元に、この本には書かれていなかった日本の行政DXについて補足的に解説したいと思います。
日本のデジタル政府化は遅れているのか?
「デジタル敗戦」という言葉がこの本の冒頭に出てきます。COVID-19対応での政府のデジタル化の遅れについては指摘のとおりですが、諸外国と比較して感染者数や超過死亡を抑え込むことができた日本のCOVID-19対策は総合的な結果として成功しています。
プロジェクトにおいて何をもって評価すべきか、KPI (Key Performance Index)をどう設定するかは常に議論のあるところですが、デジタル化をCOVID-19に対する行政施策の一環とするのであれば、感染者数や超過死亡といった指標で評価されるべきです。いくら優れたデジタルサービスができて、国民の間で普及したとしても、結果として感染対策につながらなければ意味がありません。感染症の流行については多くの要因が絡み合っているため個々のデジタルヘルスサービスがどこまで寄与しているのかは評価が難しいところではあります。しかし、デジタル化を進めるにあたっては、定量的データや評価指標を定めてして推進すべきであり、そういう意味でデジタルガバナンスが弱かったとはいえますし、それが『デジタル敗戦」の本質だと思います。
客観的な評価としてOECDのDigital Government Indexをみると、2019年の評価では日本は世界第5位であったのが、2023年の評価では33カ国中31番目と低評価に終わっています。Digital Government Indexは以下の6分野について質問表形式で各国のデータを集めて、それぞれの項目ごとに重み付けをして評価します。
digital by design
government as a platform
data-driven public sector
open by default
user-driven
proactiveness
2019年から2023年までに何が変わったのか、Digital Government Indexの評価内容については別のトピックで解説しますが、日本政府のデジタル化は国際指標からしてもあまり高く評価されていないというのは残念ながら事実ではあります。
難しさ:日本の人口規模によるスケールデメリット
日本は1億2000万人の人口を抱えています 。政府がデジタルサービスを提供する場合、すべての国民を対象とすることになります。扱われるデータ量も大きく、ユーザー数も大きいことからシステム設計、サービス設計も難しくなります。
一般的なデジタルサービスの多くは数千人から数万人規模を対象としたサービスから、大規模サービスに展開していっています。「スモールスタート」と呼ばれるように、比較的小さいサービスから始めることで初期投資を抑えて、人気の出たサービスについては得られた収益から要望などに応じて規模の拡大と品質の向上にむけた追加投資を行うと同時に、得られたデータを活用して新しい価値を生み出しました。規模が大きくなればなるほど、サービスから得られる料金も拡大しますし、得られたデータも大きくなるという「スケールメリット」も働きます。
世界でデジタル先進国と呼ばれている国の多くが、人口が1000万人以下の小国であるのはそうした理由があると考えています。数百万人規模のサービスを展開するのと、数千万人規模のサービスを展開するのでは求められる技術構成も異なりますし、ステークホルダーも複雑化しますので政治的調整にも時間がかかります。
もちろん、国が提供しているサービスであっても、国民全員が使うわけではありませんので、ユーザー数はそれほど大きく想定する必要はありません。しかし、ユーザー数に限らず、データ規模としては1億2000万件の個人情報とそれに関連するサービスデータを管理する必要があります。どの程度のユーザー数が見込めるのかを事前に判断することもまた、難しさの一つです。営利を目的としたサービスであれば、ユーザーが増えれば得られる収益も増えますが、行政サービスではかけられる予算は議会の承認を経て決められますのでユーザーが増えてもデジタルサービスの向上には直接結びつきません。もちろん、増えたユーザー数をアピールして次年度の予算増額に結びけることもありますが、そうかんたんなことではありません。増額された予算を元に改修を進めるプロセスには年単位の時間がかかります。短期的にはユーザーが増えることによって発生する障害や問い合わせ対応など、「スケールデメリット」が働いてしまうことが問題の一つです。
スケールデメリットを乗り越えるためには
日本は民主国家であり、行政サービスには法律の裏付けが必要です。法律の制定には時間と労力がかかります。デジタル化を進めて便利な社会にしていくことは良い考えではありますが、そのデジタル化そのものがa prioriに善とされるものではありません。
現在の行政システムでは国民の合意のもとで政策決定がなされます。政策合意に時間がかかるという前提で、冒頭のCOVID-19パンデミックのように一刻を争う緊急事態に対応するには平時より議論を進めておく必要があります。現在の感染症予防法では国や地方自治体が連携を取ることとされていますが、情報管理についての主体が不明瞭です。感染情報は機微情報であり取り扱いには注意を要しますが、情報がなしで方針を決定することは現代社会では認めがたいものです。国が情報を持つことへの危機感についての懸念もありますが、国が情報を持たないことのリスクがCOVID-19で明らかになったのではないでしょうか。根拠に根ざした政策立案(EBPM; Evidence Based Policy Making)という言葉もありますが、Evidenceとはデータにほかなりません。
国民全員に公平なサービスを提供するためにはデジタルサービスであっても誰にでも使えるものである必要があります。「スケールデメリット」が発生してしまいますが、そうした前提は無視しすべきものではありません。
私も確定申告のたびにデジタル行政サービスの一つであるe-Taxを利用してきました。今年は2年ぶりの確定申告ということもあり悪態をつきながら作業せざるを得ませんでしたが、それでも、以前に比べればマイナンバーとの連携はうまくいくようになってきつつありますし、進歩はしているように思います。
日本国民1億2000万人のためにがんばってデジタル化を進めて膨大な数のクレームにもめげずに改良に努めている行政担当者が存在していることは、日本国民として喜ぶべきところではありますし、彼らが評価される官僚機構であってほしいと願っております。