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女性の自殺が増えていると歌壇時評は言うけれど

雑誌「短歌」2020年11月号(角川文化振興財団)の歌壇時評を読んだ。岩内敏行という人が、「命をみつめながら」という題で書いている。

三十代以下の女性の自殺者の増加に触れている。七十四%増だそうだ。全体でも増えたという話をしている。


しかし、今年、警察庁の9月までの統計で、男性は10170人、女性は4804人。 女性の自殺者は、確かに増えたにもかかわらず、実際には、男性の半分に満たないのである。男性の死者が軽んじられていることを語るべきだろう。


報道がそういう報じ方をしているのであり、岩内に罪はないのかもしれない。しかし、男性差別者ではなくとも、男性差別に鈍感な人ではあるのだろう。


上のように、数値的には男性の死者は圧倒的だ。しかし、多くの人は、岩内が責められるのが当然の成り行きだとまでは思っていないだろう。政治的な正しさに短歌界がうるさくなっているといううわさを、私は半分ウソだと思っている。差別と教えられた、すでに悪の判定を受けた言動ばかりを差別と糾弾する。現に行われているものが差別かどうか考えたりはしないのだ。


岩内の文章は、知人の死者や、介護を題材にした短歌を紹介するなどして、実直な印象を受ける。そういう意味では、導入部に食って掛かるのはためらわれる。だが、私は思うのだが、たとえば「女性は家で家事に専念するものであるが」という導入の文章があったら、やはり食って掛かられるのではないか。自殺ほど衝撃的なトピックでなくてもだ。


私達は、「食って掛からない」という判断をするときにも、食って掛かるべきことと食って掛からないことのあいだで差別を行いうる。


政治的な正しさについて、どの程度敏感であるかというのは、まあ、多少は敏感であったほうがよいだろう。しかしそればかり気にしているのもよくないだろうと思う。このようにぬるい考えの私である。


ぬるいので、人の差別性を見ても、だいたいは「ふむ……困ったな……」と思いつつ続きを読むのである。(あまりに腹が立つと読まないが……。)
差別的な人が詩歌について良い考えを持っていることはよくあることだし、だいたい、人も自分も、それほど間違わない存在だとは思わない。私にだって間違ったところがあるだろう。


実際、岩内の文章も続きを読んだ。後半も、ラジオ番組で佐佐木幸綱がしていた話など紹介しており、面白い。
それでもせめて、自殺については男性差別がなされてきたという事実が、当然の認識になってほしい、と思う。なにしろ事は自殺である。

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