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佐藤信弘の短歌 『具体』より

 きょうは、一風変わった短歌を紹介する。佐藤信弘という名の歌人によるものだが、独特の味わいを持っている。

ずるずるとかさかさ きーんとわけられているあちらがわは とおい

 なんだか妙な一行だ、と興味を持ってもらえたなら、この記事を最後まで読むことをおすすめする。上の短歌を書いた佐藤信弘は、現代歌壇においてそれほど有名とは言えないと思う。
 歌集のタイトルは「具体」であるが、描かれた具体は私達が日常的に接する物とは程遠い。むしろ「抽象」と言いたくなるくらい個別性を排除された「かたち」が描写される。しかし確かにそこには、非現実的なレベルでの「具体」というか、「図形」「立体」のような何かがあるように思われる。


串ざしだ 第一の球かがやき 第二の球かがやき かがやかぬ球体多し

串刺しにされているのは、肉や野菜ではない。「球」である。その第一の球がかがやき、第二の球もかがやくのだが、かがやかないのが多いという妙なバランスのリアリティを伝えてくる。球体状のなにかというより純粋な球が思い浮かべられる。

赦すのか 曲がってしまった幾百の線を たるんでしまった幾千の線を か

赦(ゆる)すのかというのは人間的な問い方だが、赦す対象は「線」である。曲がってしまったから赦さないかどうかという選択に読者を引きずり込む。最後の「か」で何もかも疑問文のなかであいまいに溶けていく。不思議な短歌なのだが、「か」は、普通の短歌であっても意味を持ちそうなレトリックである。線の世界を、赦す赦さないという人間の情緒のように扱い、「か」という普通の短歌にどうにでもつきそうなレトリックで締めてみせる。

多面体濡れ 多面体合わさり とつぜんはがれいっせいに走り 険しい

多面体は濡れる。このあたりですでに現実と模型世界との接近がある。しかし、合わさり、はがれ、いっせいに走るというのである。コンピュータグラフィックのシミュレーションを見ているような気分にさせられる。しかし「険しい」と言えるためには、険しさという「のぼれなさ」を感じる誰かが必要である。「濡れ」の部分に続き、「険しい」で妙に人間的な感慨が混入する。

一つ落ちもう一つ落ち一つ落ちもう一つ落ちつづけて落ち くらい

落ちてばかりである。それがほぼ徹底されて、わずかな変化は五七調の変化と「つづけて」の語に託されて、それ以外の描写は「くらい」の一言だ。どうくらいのか。くらいからどうなのか。そういうことは語られない。何が落ちたのかもわからない。動作と、明るさの度合いだけがある。

空洞がぱさっとここで裏返り あちらがわだけぬれはじめている

具体と題された一連の最後の一首がこれである。空洞が裏返る。わかるようなわからないようなである。その「あちらがわ」とはどこか。わかるようなわからないようなというかわからない。ただ、そこがぬれはじめているということで、どうやら具体的であるらしい。何が起こっているのか皆目わからないがなんだか図面にえがけそうな気はする。こうして「具体」は終わる。

(短歌の引用は、歌集『具体』などを収めた冊子『鼬の天』より)

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