5年という月日
今日という日を一週間くらい前からそわそわ待っていた。
昨日になったら、もうわくわく。
5年ぶりに高校の友人(というより同士って感じかな)と会う約束をしていた。
彼はSNSを更新していなかった。
だからこの空白の5年間、どんな姿でどんな場所に足を運びどんなものをどんな目で見つめてきたのか、まるで知らない。
知らないことがこんなにわくわくにつながるなんて。
カフェには集合時間の少し前に着いた。
入り口が見えやすい位置に席を取り、待つ。
もしも金髪になっていたら。もしもチャラついていたら。彼に限ってそんなことは無いだろうと思いながら、つかの間へんな妄想をたのしむ。
「あっ」
ふらっと入ってくる立ち姿と目線の投げ方、すぐに分かった。変わってない。心からよかった。妄想でよかった。
「お久しぶりですー」
と敬語で挨拶をする彼は礼儀正しくしっかりしている。
そこからお互いの身に起きたこと、これからやりたいこと、じっくり3時間半ほど話し合った。
私たちはこの5年間をちゃんと必死に生きていた。
ダメになったりしながら、迷いながら、今まわりにある現状をちゃんと自分たちの手で、足でつかみ取ってきた。客観的にそれぞれを通して、それぞれの言葉で確かめ合った。
5年前。
「夢に向かって挑戦をするために、今の部活をこの公演で引退して、演劇部にうつります。絶対に夢叶えます。」という私のツイートをみて、他クラスの彼は「尊敬しています」とやはり礼儀正しく長文を送ってくれた。一度も話したことなんかなかったのに。
でもお世辞じゃなかった。話したことはなくても、DMに浮かぶ誠実な言葉の並びをみたら分かる。いい人。音楽をやっていて、昼休み公演を私も観に行った。とても魅力的だと思った。
5年後、今。
「あの時から、はなさんは高校の中で圧倒的に魅力的だった」
そんな言葉を、まっすぐ、目を見て言える人いるだろうか。何度だってダイレクトに伝えられる人、そうそう居ないんじゃないか。出会えないんじゃないか。
夢見たとおりに実直にその道を歩んできたけれど、なかなか苦しい道で、特にこの一年は傷ついたりみじめになったりもう全てがダメかもしれないと何度だって思ってしまった。
でも、それでもまだ忘れられない。人生で一番好きだと言える瞬間。表現しているときに生まれるあの全肯定できる眩しい瞬間。シャッターを押す一瞬よりも短くて、でも永遠みたいなその一瞬に出会いたい。がんばりたい。
やさしい言葉がほどいてくれるように、肩をさすってくれているように、いや、ぽんっと背中を押してくれるようにって感じかな。すごく届いた。
彼も変わらず魅力的だった。
私の知らない風景をみて、経験を積んで、思わぬハプニングを起こしながらも、いま幸せだと胸を張って言える清々しい気持ちよさをもっている。風通しがいい。成長している。大人になってる。これからがもっともっと楽しみになる。
学生が終わったり、目指してた理想と歩みたい現実が別のものだと気づいたり、わかりやすい節目は人生に色々あるけれど、節目だけに会う関係はきっともったいない。
次は5年後なんて遅すぎる。
だから、節目のないその途中の景色をどう見るのか、どう感じるのか聞きたい。知りたい。ずっと正直でいてほしい。
またきっとすぐに会う。しゃべる。
そんな関係でいられるのは、2人ともがこの月日の中お互いを見向きもせず頑張ってきたご褒美ってことにして。
またひとつ未来にたのしみをつくった。
アイスを買います