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自分のことを深く見つめる余裕がない。それは嘘ではないのだけど、深く見つめたときに自分がどうなってしまうか分からなくて、出来ない。
現在のわたしのどうしようもなさの原因を追求したくて、過去を紐解いていけば、他人のどうしようもなさにぶつかる。
それって許すしかない。責めたり怒ったり出来ない。だって私はあなたがそのとき「どうしようもなかった」んだと分かるから。
気圧の変化の頭痛と吐き気に教われながら久しぶりに字を書いています、みなさんお元気ですか。
誰が見ているかもわからないこんなところで、いつもお元気ですかとかお元気でとか書いてしまうのは、ボトルにつめた手紙みたいな、笹舟のような、どうでもよい程度の祈りを込めているからだと思う。
わたしはいつまでも誰かと繋がっていたいし、誰かに許されたいまま、これからも生きていくしかないのかもしれない。
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日々いろんな、本当にいろんなことがあって、前回の更新が8ヶ月も前のようだった。
昨日みた映画で「人と人が会話をするのは、お互いがわかり合えないことを理解するため」みたいな台詞があった。
非常によくわかる考え方で、ただ最近その考え方がネックになっているなと感じることが多い。
私は基本的に人と人はわかり合えないと思って生きていて、だからこそわかり合おうとすることに意味があるのだと思っている。
ただ、どうも、「どうせ伝わらないから伝わるように伝える必要なんかない」とも思っているらしくて、そこには全く自覚が無かった。
この文全体も然りだけれど、わたしの人生に何があって更新期間が空いたのか伝える気はないし、そんなこと誰も関心がないと思っている。
言葉を大切にして生きてきたつもりだった。でも全然、そんなことって無かったらしい。
自分で自分をどう思っているかより、誰かにどう思われているかのほうが、大切ならしい。
なんにも、わからなくなってゆく。
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幼い頃に得られなくて、いまでもほしいものって、もうほしいって素直に言えなくて、諦めるしかないのかな。
それを与えてくれる都合の良い誰かなんて居なくて、結局わたしの人生を満たすのはわたしでしかない。
助けてほしかった。ここに居て良いって思いたかった。許されたかった。
愛されたかった。抱き締められたかった。
もうなにも言えない。
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疲れた。またいつかね
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