10月
煩わしいことに煩わしいと言えなくて、こう思われているんだろうな、とか、色んなことを感じては忙殺されて日々が過ぎていく。本当に日々が流れるように過ぎていくばかりで、気づけば10月。今年は各月に色んな出来事があって、一年を長く感じるし短くも感じる。この年齢になってすこしでも一年を長く感じられる要素があるのは割と良いことかな、充実していると言い換えて良いのかなと思案しながらこれを綴っている。
前回の日記に書いたけれど、長いこと書き連ねてきた日記を半分ほど処分した。ちらりと見返したりしたけれど、あまりに見苦しくてやっていられなかった。書いていた当時も、当時の自分なりに精一杯やってらんねえ日常をもがいていたのだとは思う。
ずっと、過去の自分の、誰も認めてくれない努力や涙を、せめて大人になった自分に認めてほしくて書いてきた日記だった。大人になってしまった自分はどう感じているかというと、努力を認めてくれる人の側でがんばれればそれで良いのだと思うし、過去の拙い努力や涙の積み重ねで今の自分が出来ているのなら、もうそれだけで良いじゃないかと思っている。
わざわざひとつひとつをつぶさに認めてやらなくたって、傷つけたことも傷ついたことも忘れてしまえるのは幸せなことなんだと思う。
忘れたくないなと思うその瞬間があることを大切にしたい。
なんというか、こう、「大人になりたくない!」とか、駄々をこねてもいられない年齢になってきて、すこしでも良い大人になりたいなと思う。やさしい人になりたい。
狭い狭い世界でもがいていた中学生の頃、謎の全能感に溢れていた高校生の頃、そういうざらっとした感触のこともなんとなくでいいから覚えておきたい。
詳細はさておき、ここ2年は本当に激動の2年だった。またも前回の日記にて、「そろそろ落ち着いてきた」とか書いていたけれど、全然そんなことはなく、忙しくもあり楽しくもある。
好きなものについて語れる自分がすこしだけ好きだ。日々を楽しいと思わせてくれる周囲のすべてへの感謝を留め置いていたい。
ありきたりな実感だけど、楽しい忙しさで満ちているほうが、人はずっと健康だ。どうしようもなく鬱で休むことしか出来ないときももちろんあるけど、そこから産まれるのは罪悪感しかなくて、どこかで悪循環を絶たないといけない。そしてそれが出来るのは自分だけなのだ。
知人の論だからまだ全面的な賛成はしていないけれど、曰く「鬱は引きこもっても改善せず、誰かや何かと繋がってそれらに貢献することで改善する」のだそうだ。
結論、どこまでいったって、腐るほど自分と向き合って、やっていくしかない。悔しいけど。
しゃーなし生きてやるか、と思っている。それぐらいでいいよきっと。知らんけど。
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