たとえ
「例えば、明日から「楽しい」という気持ちを、「楽しい」という言葉以外で表現できなくなったとしたら、どうする?」
「どうもこうも、どういうこと?」
「例えば、の話よ。」
1LDK,夕日の差し込むソファに横たわり彼女はこう続けた。
互いの感情の機微を読み取れるようになったとして、「なにが」「どう」楽しかったのか、伝える必要がなくなったらどうする、という話らしい。つまるところ、以心伝心、テレパシー、そんな類の力が目覚めたとしたらどうする、というようなことだった。
「そのとき、それまでの時代で「なにが」を示してきた言葉や、「どう」を表現してきた言葉に、存在する意味はあるのかしら。」
「言葉が存在する意味、ねぇ」
天井を向いて音を溢すように話す彼女の声は、意識をそちらに向けなければ聞き逃してしまいそうだった。
「たとえそれで相手の思っていることが隅々まで取り溢すことなくわかるようになったとしても、それは僕の知っている言葉で置き換えた相手の気持ちに過ぎないんじゃないかな。」
彼女は顔だけこちらに向ける。赤すぎる夕日が彼女の顔を半分隠す。落とされた影に、僕が受け取れなかった彼女の気持ちが残っている気がした。
「僕は僕にとって都合の良い言葉で相手を知りたいとは思わないよ。どんな感情も、本人が言葉を尽くして発すること そのものに意味を感じていたいんだ。」
「どんなに言葉足らずでも伝えることに意味がある、なんて言いたげね。」
「その通り。もしかしてこれはたとえ話ではないの?」
「たとえ話よ。人の話はちゃんと聞くことね。」
彼女は薄く笑った。夕日が沈み切る前に、カーテンを閉めて電気をつけようと思った。この話をして一体何の意味があるのか、僕にはわからなかった。
いつだって、彼女は言葉足らずだ。
彼女が僕に伝えたかった気持ちがあるのかどうかすら分からないまま、結局僕たちは 言葉で繋がっている。
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読んでくださってありがとうございました。
定期的に不定期に文章などを投稿出来たらと思っています。よろしくお願いいたします。
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