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ORALIUMという水槽の話

2020年9月24日、わたしはライブに行った。
ライブハウスで、ライブに参加した。
じんわりとした腕の痛みが心地よい。これはぜったい筋肉痛になる。けれども、その痛みがとても懐かしいし、愛しいよ。

THE ORAL CIGARETTESのORALIUMに参加してきた。
2日間の公演のうちの、初日の方。終わったままの勢いでこのnoteを書いている。ネタバレしやんでな、ってやまたくとあきらくんが言ってたのでまだこれを書いている今は公開しない。まあこれ書いてる途中で盛大に寝落ちしたので殆どは25日に書いているんですけども。

すごく斬新なライブだったんですよ。事前に彼らが「おもろいことする」って言ってた理由もすごくよく分かった。めちゃくちゃ面白かった。ライブの途中にスマホを開くことって、これまでだったら絶対なかった事なので、本当に斬新だったな。これからのライブってこういう風になるのかもしれない、と思った。新時代の到来!皆がインターネットを介してライブ配信を見て、そこに視聴者の意見も入る余地があって、こうやって作り上げるライブも、アリなのかもしれないなと。
選択肢が現れる度に現地にいる人達の「〜〜!!!」みたいな、声にならない呻きが漏れてて面白かった。わかる、わかるよ。叶うならどっちも聴きたいもん。あとリコリスに票を入れなかったやつまじで許さないからな(私怨)(でも起死回生の手拍子はめちゃくちゃ楽しかったです!!!!!)

最後にライブに行ってから半年以上が経った。
半年以上ぶりに生音でライブを体験した時、正直泣き出すんじゃないかと思っていた。これまでに溜まった色々な感情が噴き出して、爆発して、まともにステージなんて見ていられないんじゃないかと心配していた。
実際、ライブが始まる前のステージから漏れるチューニングの音とかだけで鳥肌が立って、ああ、これから本当にライブが始まるんだって思うとソワソワが止まらなかった。一曲目始まって、二曲目、三曲目って続いて、定期的にスマホを開いて選択肢を選んで、大声出して笑えないから手拍子して。ライブはいいな、生音っていいな、心臓に響くドラムやベースの音が気持ちいい、楽しいな、って思って、でもなんとなく、ほんの少しの違和感を覚えた。何かが違うような気がした。
楽しいんだけれども、なんだか、何かが足りないような、違うような、不思議な気持ち。なんだろう、今までのライブと何が違うのかな。声を出せないこと?確かに声を出せないのはもどかしかったけれども、それじゃないような気がする。じゃあこの違和感の正体は何だ?ステージにかかった幕のような、箱のような、水槽の枠組みの様なものの中にいるメンバーは4人で向き合っていて、いつもの立ち位置とはなんとなく異なっている。
ああ、そうだ、このせいだ。メンバーが、ぜんぜんこっちの方を見てないな、って気付いた。
確かにこのライブのスタイルは面白い。久々に聴く生音にこちらのテンションも上がっている。フェス位の尺ではなかなかやってくれないようなレア曲に興奮したし、これまでのライブでは有り得なかった、視聴者が曲を選ぶという試みも楽しい。けれどもそうか、メンバーの誰とも目が合わなくて、わたしは確かに観客席にいるのに、これじゃ画面越しと変わらない。あの時のわたしは、ライブの「参加者」じゃなくて「視聴者」だった。
いやでも、生音聴けるだけでも十分だよ。幸運にもチケットが当たったからわたしはここに居られる訳だし、楽しいライブであることに変わりはないのだし。半年以上ぶりのライブだからって、過剰に思い入れを持ちすぎたのかな、とも思った。新曲も沢山聴けたし、これはこれで良いライブで、実際周囲の観客も楽しんでいるし、わたしも楽しいと思っている。だから、これ以上望むのは贅沢すぎるだろう。
そんなふうに自分を納得させて、頭を切り替えて、今日のライブをせいいっぱい楽しもう、そう思っていた時だった。

画面に表示される、不穏な選択肢。
視聴を続ける、視聴を止める。
それが目に入った瞬間、思わずにやけてしまっていた。
声を出せたなら、絶対に口から言葉が漏れていただろう。
──オーラル、やりやがったな、と。
こういう世界観を構築しているオーラルだから、わたしは彼らが好きなのだ。

1本打って、やまたくの声が会場いっぱいに響きわたる。
2本打って、叩いた手がじんわりと熱を帯びる。
3本打って、まっすぐ見つめたステージが、涙でぼやけている。
4本打って、始まる。

「やっぱりオーラルのライブはこれっしょ!」
そこから先はあまりにも怒涛で、脳内麻薬みたいな物が過剰に分泌されていた気がする。声は出せなくても、マスクの下で口を動かして、全力で、心の中で叫んでいた。
「君たち声出せんで、可哀想やなあ!」そう言って、やまたくが煽ってくる。本当だよ、本当に可哀想!!こっちは声が出せないというのに、なんでこんなに叫ぶ曲をセトリに組み込んだんですか!?鬼!好き!
「でもちゃんと、聞こえてるからな!!」わたしの声はちゃんと、確かに、彼らに届いているんだなって思ったら、こんなに激しい曲で、全力で動いて息切れしそうになっているというのに、涙が込み上げてきて止まらなかった。

「正直、配信のライブにぜんぜんピンと来てません」って、MCでやまたくが言ってくれたのが嬉しかった。
「『え、なんで配信で見れるのにわざわざライブハウスに行くの?』って言われるような世界になったら嫌です」って。わたしも、まさにそんな世界が来るんじゃないかって思って一人で悲しくなっていた所だったので。
配信ライブを否定したい訳じゃない。配信には配信の良さがあって、この時代で、わたしも大好きなアーティストの配信ライブに救われたから。今後のライフステージにおいては、ライブハウスとかホールとか、野外のフェスでさえ、足を運ぶことが難しくなるタイミングがやってくるだろう。そう思ったら、配信のライブがどれだけありがたいことだろうか。だから、配信という選択肢があること、それ自体は良いことだと思っています。
けれどもわたしは、「視聴者」にはなりたくなかった。
ライブの「参加者」でありたかった。
ステージに立つ彼らにとって、個々に識別されるような存在ではないだろうけれども、それでもわたしはライブに「参加」したかったのだ。
だから、オーラル側がこういうライブを発信してくれたことがとても嬉しかった。わたしが行きたいと思っていたライブが、この日のZeppYokohamaにあったよ。それがたまらなく嬉しくて、愛しい。
声を出せなくたって、そこにいるだけで、音に合わせて身体を揺らすだけで、ただただ楽しかった。本当に、楽しかったんだよ。

「ぜったい、これから先も、生きて会おうな」
まさにその通りで、元気で生きることがまず大事だと思った。
わたしの座席は本当に端っこだったので、MCの度にスタッフの人達が扉を開けて換気する姿がよく見えた。このライブをやるために、どれだけの人達がたくさんのことを考えて、準備してきたのだろう。携わったすべての人達への感謝の念が尽きません。本当に、ありがとうございました。
ライブの音だけじゃない、光やスクリーンの演出も本当に凝っていて、見ているだけで心が躍った。そういえばZeppYokohamaにはミラーボールあるんですね。朗報です。某曲でのスクリーン演出は本当に、メンバーが水槽の中にいるようだった。視覚的にも素晴らしかった。本当に、ありがとうございます。ライブって、やっぱり凄いよ。

これからのライブシーンがどうなっていくかはやっぱりまだわからないけれども、少しずつ少しずつ、前向きに、ポジティブな方に進んでいるのかな、という感覚がある。
ライブに参加することが、アングラな趣味になってほしくない。
こんなに愛しい世界を、失いたくないよ。

2020年9月24日。たぶんこの日付を忘れることはないと思う。
2020年2月26日以来の、今年参加した8本目のライブ。
今年はあとどれだけライブに行けるだろう。
来年は、再来年は、これから先はどうなるんだろう。
未来のことは誰にもわからないし、まだまだ困難なこともあるかもしれないけれども。

それでも生きていこう、今を。

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