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スケッチ

春爛漫。
この4月はまさにその言葉を感じることが多く、其処此処で春に出会えた日々だったことを心から嬉しく思います。

これまで春、というと、まっさきに私の中に浮かんでくるのはThe Birthdayの「KAMINARI TODAY」という曲のワンフレーズでした。

悲しくて 情けないから 春は嫌い つぶやいて

The Birthday「KAMINARI TODAY」


春は、明るくて穏やかでありながら、どうしようもないほどの悲しみと切なさの両方を合わせ持っている季節。出会いの季節であり、別れの季節。こんなにも二面性のある季節は春だけかと思います。
そんな春に対して、これまでは「切なさ」「やるせなさ」の方を強めに感じていたのが、今年の春は「穏やか」「愛しい」であることがとても多くて。
今年の春も、もちろんこの歌のフレーズが頭の中で流れて、そこに浮かぶ色にぴったりと当てはまる切なさや苦しさを感じることもあったけれど、それも全部含めて、最後には明るく微笑む愛おしい春だったと思います。


そう思える1番の理由は、3/21から4/6まで上演されていた宝塚歌劇団花組公演「TOP HAT」を観劇したこと。

ありがたいことに複数回観劇する事ができた中で、観るたびに視界が洗われていき、舞台から受け取る様々なきらめきが確実に私の心を救ってくれました。

私のご贔屓さまである、花組トップスター柚香光さん。
柚香さんの舞台姿に、軽やかに舞い、歌い、役を生き、相手役さんを心から愛し抜くその覚悟と幸せの光景に、曇っていた視界がどんどんクリアになっていくような感覚でした。

私は好きなものに対して盲目で、「好きになりすぎる」という傾向があるので、自戒をしながら好きなものことに接するようにしているのですが、それでもどうしても、頭では分かっていても心だけがどんどん先に行ってしまうことがあって。
この時期、宝塚ではない別のところでまんまとその傾向に走ってしまい、自分で自分を苦しめる日々が続き、心も視界もすごく狭く曇ってしまっていました。
それを自覚しながらもどうすることもできず、こんな自分は嫌なのに、と思っていたところに、まさに助けに来てくれたかのようだったのが「TOP HAT」での柚香さんでした。

柚香さんという人は、私にとって本当に不思議な存在です。
誰よりも好きで、何よりも大切で心を寄せている方ですが、先述したような「好きになりすぎる」ことによる心のマイナス方面への暴走が起きなくて。
むしろ、そのマイナスに振れた時、必ずそこから救い出してくれるのが柚香さんという存在なのです。

歩く道は、進む方向は、こっちだよ。
そんな風に朗らかに導いてくださる方。
私が勝手にそう受け取っているだけですが、それで私がどれだけ救われているのか計り知れません。
これまでも、不安定になった時や塞ぎ込んだ時には柚香さんに導かれていましたが、今回はその道標としての輝きが、私にとって一段と大きなものだったと感じるのです。

柚香さんがいるから私は私でいられる。
あまりにも柚香さんという人に寄りかかりすぎている…という自覚もあるのですが、今回受け取った輝きはこれまで救われていただけとは違って、私の覚悟にもなったと思っています。

この方に恥じない自分でいよう。
そのためにしっかりと前を向いて歩いていかなくては。
自分の足で、自分の心と体を支えて。
そんな前向きな覚悟。

その思いが固まってから、この春の美しさ、明るさ、愛おしさをより鮮明に感じてキャッチできるようになったような気がしています。
この春爛漫の4月は、柚香さんからいただいたプレゼント。
勝手にそんなことを思っています。


TOP HATが無事全公演完走して以降は、まだまだその余韻に浸りたい…!と思いつつ、前向きになった心で色々なものを見ました。
大きかったのは、舞台「next to normal」の観劇と、心待ちにしていた映画「ファンタスティック・ビースト」の鑑賞。


「next to normal」では、応援しているA.B.C-Zの橋本良亮さんが出演されていることをきっかけに、幸運にもチケットを取る事ができ観劇させていただいたのですが、あまりにも圧倒的なキャストの皆さまの圧巻の舞台に、観劇中も観劇後も興奮冷めやらぬの体験でした。

宝塚の舞台とはまったく違う景色、受け取るものもパワーの種類も何もかもが違う。数は少ないですが、普段から宝塚以外の舞台も観劇する舞台ファンなので、もちろんそういった違いは知った上で、それはそれ、これはこれ、という風に楽しんでいますが、n2nは舞台作品としても飛び抜けている物凄さを持っている舞台でした。
こんなにも舞台から衝撃を受けたのは本当に久しぶり。(新感線の鳥ドクロぶりの衝撃だったかも)

私が観劇したのは安蘭けいさん率いるAチームでしたが、何よりもカンパニーの雰囲気が良く、その雰囲気の良さ、キャスト一人一人のそれぞれへの愛と優しさ、観客への寄り添い方が、また舞台を素晴らしいものにしていて。
舞台を愛する者として、そういった、カンパニーの結びつきが生み出す奇跡のような化学反応を見られることほど、嬉しいものはありませんでした。

一度きりの貴重な観劇。
一生忘れられない観劇体験になりました。


そして映画「ファンタスティック・ビースト」。
さまざまなトラブルに見舞われ、公開時期も延期されていた今作ですが、主演のエディ・レッドメイン氏の来日もあったり、まさにお祭り!な雰囲気を久しぶりにハリウッド映画で感じられて感慨深かったです。

そこまで魔法ワールド通でもなく、ポッタリアンであるわけでもないのですが、やはりハリー・ポッターシリーズと共に成長してきた身としては、この魔法の世界に浸れる時間というのはとても特別で。

当時はダニエルくんと、そして今はエディ氏と、同じ時代を歩む彼らとリアルタイムでこの世界に思い切り入り込めるのは、本当に幸せな事だと思いました。
原点回帰できるもののひとつ。

…まだまだ色々な問題が起きているファンタビではありますが、どうか4作目、5作目も無事に製作されることを願っています。
この世界に、魔法ワールドはやっぱり必要だと思うから。


***


改めて思い返して書いていると、4月を、好きなものことを満喫できていたなとしみじみ。それもやはり、受け止められるだけの心の軽やかさを保てていたからだと思います。

春爛漫を感じ、受け止め、気付く事ができたこと。
これは決して当たり前のことではないし、心が鈍っているとすぐに流れていってしまうものだと思うからこそ、この4月に感じたことを大事に抱きしめていきたい。


***


好きなものことからの刺激だけでなく、日常のささやかな幸せも然り。
この時期の旬のもの、特に祖母宅の庭で収穫した筍をたくさんいただいたこと。
あまり自由に体を動かせなくなってきている祖母が、TVで見たオイルパスタのレシピが美味しそうで、作ってみたのよと嬉しそうに教えてくれたこと。
それを私もやってみたよ美味しかったよと伝えられること。
季節の花々を、母が実家の庭から届けてくれること。
父が誕生日を迎えたこと。
姉と何気ない時間を過ごして笑いあうこと。
散歩中に立ち寄った神社で、すれ違った人と会釈をしあったこと。
公園の桜を撮ろうとしていたら、サッカーをしていた小学生の男の子たちが声を控えめにしながらよけてくれたこと。

どれもこれも全部、愛おしい春の景色です。


***


そんな4月のもう終わりの、ここ数日前のこと。
姉と話していてたまたま話題に上がったことをきっかけに、懐かしい〜!久しぶりに聴こう!と再生した音楽があります。

あなたのように なりたいなんて
思ってみたが 僕は違うな

never young beach「あまり行かない喫茶店で」


このフレーズが耳に入ってきた時に、あまりの朗らかさに、あまりにも私が普段思う「なれない」とのニュアンスの違いに、涙が止まらなくなって。

「好きになりすぎる」傾向がある私は、「この人と同じになりたい」という気持ちが「この人と同じにならなければ」というものに変化し、結果、「なれない」という絶望にたどり着いてしまう。
その「なれない」の絶望にたどり着いていることに気付きたくなくて、ふんわりと薄目でその事実を見ているところがあったのですが、この曲を聴いた時、そんなことをしている自分が本当に無意味なんだなと分かって。

この歌には、日常のささやかな幸せと、好きな人への「好き」の気持ちが素直に溢れ出していて、その中で歌われるこのフレーズからは明るさしか感じないんです。
あなたのようになりたいけど僕は違う、だからあなたが好きだし、僕は僕のままで、あなたとこれからも一緒にいたい。
そんな穏やかであっけらかんとしている、切実な思い。

本当にちょっとした目線の変え方で、こんなにも見える景色が変わってくるんだと、衝撃で。
絶望を感じている自分がなんてみっともないんだろうと、すごく心が軽くなったのです。

あなたがあなたであるように、私も私だから、あなたを好きになった。
そんな単純で当たり前のこと、どうしてすぐに分からなかったんだろう。
拗らせぐせのある自分に呆れつつ、このタイミングでこの歌に再び出会えた事が本当に嬉しかったです。


そんなことをきっかけに、最近はずっとnever young beachを聴いています。
どの曲も好きだけれど、もうひとつ、気付きを与えてくれた曲があって。


リズムも軽やかでくすぐったく、かわいい曲。
最初はそのメロディの心地よさに耳を預けていたのですが、歌詞をちゃんと聴いてみると、まるで好きな人を言葉でスケッチしているみたい、と思って。

言葉でスケッチ。
あ、そうか!とぱちーんと気付いて。
私もそれをやってるんだと。

私は文章を書く事が好きなのですが、うまく書けているとは思っていなくて。
noteでもTwitterでも、その時に感じたことや覚えておきたいこと、書き留めておきたいことを思いのままに綴っているけれど、ものすごく曖昧表現だな…ぼんやりしている言葉だな…と思う事が多く。

特に作品に対する感想やレビューは苦手で、私が書いているのはただの状況説明では?と、書き綴ることに不安や負い目のようなものを感じることもあるのですが、これってもしかしてスケッチをしているのかもと思ったら、すとんと自分の中で腑に落ちて。

目にしたもの、そしてそれが心の中に落ちてきて心象風景になったものを、言葉でスケッチしている。

Motelを聴いて、その言葉のスケッチが愛おしく思えたように、私が綴る言葉のスケッチも見返した時に愛おしく思えたり、誰かの思い描いた風景に重なる事ができたら嬉しいなと、そう思ったらとても心がうきうきしたのでした。

ボキャブラリーや感情を豊かにしていきながら、これからも私自身の言葉でこの目で見たもの、心で感じたものをスケッチしていきたいと思う、そんな4月の終わりです。下手なりに。慎ましく、丁寧に。


***


心軽やかにこの記事を書き終えようとしているのですが、一番最初に綴ったThe Birthdayのことについても、やっぱり書き残しておきたいので最後に少しだけ。

「KAMINARI TODAY」を久しぶりに聴いたら、やっぱり涙が溢れて止まらなくなった。
有無を言わせず心の琴線に触れてくる、というか、おそらく私の心の琴線そのものを作ったのはチバさんの言葉たちだと思います。

一番手っ取り早い乱暴な表現をすれば、いわゆる「クソデカ感情」というものがありすぎて、The Birthdayは一番好きなバンドであり、おいそれと聴く事が、触れる事ができないバンド。

チバさんの歌声は、言葉は、音楽は、他のどんなものよりも私の心に大きな世界を作って、大きな傷を作っているもの。それは確実に圧倒的な事実として私の中に横たわっていて、ふとした時に、静寂の中でそのことを確認をする時間が定期的に訪れます。

その確認はあまりにも痛くて怖くて、本当になかなかできないものだけれど、私の礎になっているものだから、なによりも抱き締めたいのも事実だと、今回この記事を書いていて改めて思いました。

チバさんお元気ですか。
お変わりないですか。

私はあなたが書く世界に憧れて、同じ景色を見たくて、
言葉でのスケッチをずっと続けているのだと思います。

二人は笑う
思わず歌う
どこまでも青

The Birthday「Sheryl」

この景色を見たくて、ずっと。

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