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踏み絵

これは踏み絵だと思う。コロナウイルス自体の疫学的な影響ではなく、2020年2月28日(金)を境にした、私たちの働き方や生活や、あらゆる判断についてのことだ。すぐに思い出したのは「失敗の本質」という経営書で、その界隈では名著と言われている太平洋戦争末期の日本軍の組織を分析した内容だ。

「失敗の本質」に描かれているのは日本軍がそれまでの常勝から一転して、ガダルカナル島の戦いを契機に戦況がどんどん悪化していく中、その本当の事実にきちんと向き合おうとしない組織と、その決定に従う人々の心の動きだ。結果的に、間違った選択を繰り返し被害を甚大にした後にようやく戦争を終えた。それはそのままそっくり、現代の日本企業の悪癖として引き継がれていることを端的に示している、というのが経営書として扱われている理由であり、20年ほど前に出版された頃からの評価につながっている。

当時の日本軍や、現在も残る古い体質の組織に共通しているのは「空気を読み取り従うこと」「組織の決定に反旗を翻さないこと」であり、また「正しさよりも全体の調和を優先すること」だ。個人が自分の意見を言わないことが美徳であり、その意見の方が合理的でも異を唱えることや、自分だけが他人と異なる行動を選択することは間違っていることである、という考え方や風土だ。

私自身、まさにその典型のような組織に身を置いて長らく過ごしてきた。正しくないことでも組織の決定に沿って過ごすことが何よりも快適で、余計な手間やストレスが発生しないということも知っている。会議では本質的な反対意見を正面からするよりも、権力者の意に沿う調整をした方が遥かに実現可能性が高まるし、自身の立ち位置の安泰を維持できる、という場面を何度も目にしてきた。

そして、それらが茶番であり自分自身への裏切りである、ということにも気づいた。私自身はその組織をどうにかしようというベクトルを持つ変わりに、社会全体の中で課題を見つけ自分が果たすべき期待役割を形作り取り組むことを選択しているが、まだまだ道半ばである。

話を戻すと、平時も緊急時も常に私たちにとって大切なことは「自分の頭で考える」ことであり、その結果「自分で選択し行動する」ことだと考えている。情報も自分で選び、取り入れるのか除外視するのかを仕分ける。テレビや新聞が言っていることは、まず「それって本当?」とクリティカルシンキングする。相手が権力者だったり有名人だったり、一見社会信用が高そうな人や組織であればあるほど、本当にそこから出ている情報が真実なのかそうでないのかを、真剣に考えて見極める。私たちは何も考えずに無垢に過ごしていると、意図せずとも嘘を信じやすいバイアスの上に立ってしまうからだ。

他人からどのように見られるか、ということに腐心しないことも大切だ。「みんながあなたの事をこのように言っているよ」という声は、この世に存在する最も悪意ある言葉だと思っている。孤立の恐怖を与え、周囲への理由なき同調を促す、しかしあらゆる集まりで簡単に発生しうるいじめ・嫌がらせ・排除の発端だ。

他人がどのように行動しているかは、自分の行動に影響しない、してはならない。1時間の行列を見たときに並ぶのか、別の選択をするのか。みんながやっていることは必ずしも正しくはない、ということを肝に銘じておかないと悪魔の誘いのように引き摺り込まれてしまう。あれ、あなたは何故並ばないの?と聞かれて答えに窮するより一緒に並んだ方が遥かに楽だろう。果たして、その選択を日々そして毎週毎年繰り返した先に何があるのか、考えてみることが必要だ。

ごく平和な日常では、これらの価値観や自分の行動を真剣に考える機会が少ない。どちらを選択してもさほど差異のない結果になるように感じるからだ。しかし、それが少しずつ積み重なっていくことで自分の脳の中にある判断軸は確実に肥大化していく。日頃、他人の言うことに従い大手メディアを疑わない人は、有事の際にも同じである。いや、むしろ強迫観念を抱きながら既に構築されている価値観を信じて、しがみつこうとする。ガダルカナル島の戦いではまだ日本軍は負けてなんかいませんよ、大本営はそう発表しているのですよ、あなたは一体何を言っているのですか、と。

歴史における選択の誤りは、長い時間と後世の研究者による検証で証明されている。その事を、私たちは知ってもいる。しかし、また同じ事を繰り返してしまうのか、と私は憂慮している。赤紙(戦時における軍隊への招集令状)が来たら、あなたは戦地に赴くのですか。みんなが行くから行くのですか。それが正しいと考えた結果の行動なのですか、と。

決して誰かを批判したいわけではない。それは何の効果も生まないからだ。100人全員に気付いて欲しいわけでもない、それぞれの生き方・価値観・選択があり、正解は常に一つではないからだ。その人にとっての正解はその人にとっての真実で、他人が否定するものではない。踏み絵の結果は、自分のみが受け入れる。それは先に述べたことの鏡でもある。

この文章を書いているたった一つの目的は、自分に言い聞かせることだ。お腹の、ずっと奥深くにあるであろう、グッと堪えて自分の価値観と行動を信じる礎みたいなものが流されないために。私も、歯を食いしばっている。自分の頭で考え選択し、それがたとえ多くの他人と異なる結果であったとしても、怯むことなくまた誇示することもなく、自然体で日々を過ごすこと。そして自分の役割を日々考え、それらを果たしていくのみだ。

心の平穏は、きっとその先にあると信じている。



〔メッセージ1〕冒頭の写真は埼玉県小川町の里山風景です。近くに我が家の畑があり、心の拠り所です。

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