日記#63 整体の日曜、診察の火曜、相談の木曜

2024/1/27

最寄駅近くの歩道のフェンスに嵌められていた手袋。なんか猟奇的な香りがしないでもなかったので、人目を気にせず激写してしまった。この片っぽ手袋ちゃんの持ち主は今いずこ?寂しそうなので是非迎えに行ってあげて欲しいと思う。

 痛みコントロールのための入院から1週間、退院後の私が今まで何をしていたかについて、冒頭にて軽く触れておこうと思う。
日曜日にはいつもの整体のお店へ行きFさんに整えてもらい、火曜日には病院の緩和ケア科でうみのいきもの先生の診察があった。そして木曜日には病院のがん相談支援センターに赴きホスピスについてソーシャルワーカーのOさんにお尋ねしてきた。それ以外はワンちゃんと散歩に行ったり映画観たり本や漫画を読んだりなどして家でゆっくり過ごしていた。今回は日曜日、火曜日、木曜日のことについてまとめて書こうと思う。


日曜日のこと


 本当は入院した週の水曜日に整体に行く予定だった。一月中に使える新年クーポン二つのうち一つが残っていて、Fさんがお店にいらっしゃる日で直近が日曜日だったので、その19時に予約を取った。

 出先で夕食を取ることにしたので必要な薬を持って16時過ぎに家を出た。電車に揺られて3駅、お店は病院の最寄駅から徒歩3分程度のところにある。駅近病院近。これからホスピス探しとか抗がん剤治療とかあるし、なんなら死んでしまうのでFさんにこれまでの感謝を記した手紙とちょっとした贈り物をしたいと考えお店近くのT-SITEで鳥の形をしたブローチを買い、蔦屋書店の文具売り場で便箋と封筒のセットを買い、書店併設スタバで飲み物と食事を頼んで(ストロベリーとラベンダーのあったかいお茶となんかチーズやらハムやら挟んである美味しいの)席で飲食しながら感謝の手紙をしたためた。封筒に手紙とブローチを入れて可愛いシールで飾り、夏に科学館で買った天体マスキングテープで封をした。

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 定刻10分前になったので目と鼻の先にある整体のお店へ向かった。その時点でお客さんは1人だけ、整体師もFさんひとりだった。日曜の夜は空いているのだろうか。そのお客さんの施術が終わりご帰宅なさった後私の番になった。

 更衣室をお借りし持参したスウェットに着替えた。Fさんにはワンピース初めてですねって言われた。そうかも知れない。ストーマ造設したのと通院時は上下分かれた服が都合が良いのとで、このところあまりワンピースを着ていなかった。とにかく着替えた後忘れないうちにお手紙とブローチ入りの封筒をFさんにお渡しした。感謝の手紙だと言うと快く受け取っていただけた。施術用ベッドに案内され問診を受け、CVポート手術を受けたばかりなのでそこには触らないようにお願いして施術開始となった。

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 今回も楽しく会話をしながらの施術となった。店内にはFさんと私だけで、いつもと違って夜の時間帯ということもあり私の口もなんとなく軽くなった。Fさんのお兄さんに霊感があるっぽい話から私が入院中早朝の病棟で痛みでシクシク泣きながらデイルームへ向かっていたら霊か何かと怪しんだ看護師さんに追いかけられた話をしたら、大人でも泣いちゃうような痛みだったってことですよね、笑っていい話なんでしょうか…?と言われたので、全然笑い話のつもりだと申し上げた。Fさんは世の中の科学では割り切れない物事に対して関心があるらしく、過去のバイト先の同僚の心霊体験のこととか、神社の鳥居をくぐるとつきものが落ちる話とか、Fさんやそのお父さんの生き霊をFさんのお兄さんが見たと思われる話とか、そういうオカルト的な話を色々聞かせてくださった。心理学者の河合隼雄さんの著作を引用して日本でも中世の時代では生き霊とかそういうのが当たり前に捉えられていたというお話をしたら、その時代羨ましいって仰っていた。沖縄ではユタが当たり前に日常に溶け込んでいて、そういった世界観に憧れるそうだ。

世の中にはインチキオカルトもたんまりあるけど、そしてそういうものの中には悪質な詐欺もあって気をつけるべきだけど、科学で全てのことが解明されていない以上、不思議だと感じられる事象があり得ないとは言い切れないのかもしれない。変な占いとかナンセンスなオカルト話じゃなくて、不思議な勘だとか布置だとかそういうもの。あえて深く追求する気は私にはないけれど。とにかくそれ系のお話とか最近地球環境大丈夫かなとか地震が天罰とか昔言ってた施政者やばいよねとかなんやかんや色々お話しながら計50分の施術を終えた。


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 お会計をして、次回の予約は入れずまた都合の良い時に、ということでご挨拶をしてお店を出た。別れ際Fさんは後で手紙読ませてもらいますねと言って、いつものように丁寧にお見送りしてくれた。体調とスケジュールが許す限りまたお店に顔を出したい。いつまでそういう風に出来るかは分からないけど、Fさんに出会えたことも間違いなく私の人生の宝だ。病気になってから出会った優しい人たち、助けてくれた人たち。Fさんもその1人、私の大切な人の1人だ。またお会いできることを願うよ。

 Fさんと会ったことで生き生きした明るい気持ちで帰路についた。夜の空気が煌めいていた。電車を降りて冬の澄んだ気配の中、寒いけどいい気分で1人夜道を歩いて帰った。その日の眠りは良い眠りだった。

↑科学館の天体マスキングテープ。買ってよかった。



火曜日のこと

 
 朝の早い時間からかなりお腹が痛かった。退院後はずっと痛みに関しては好調だったのだが、ここに来て急に悪化した。痛み止めを飲んでも治まらない。

 病院が始まる前、8時半頃に見かねた母が病院の女性診療科に連絡した。その後私が電話を代わるとまだ看護師さんが来ておらず病院が始まる9時以降に改めて連絡しますと診療科の受付の人に言われた。すごく心配そうな感じだったのは、以前診察の日にお腹痛くなって泣いていた私の様子を見ていたからではないかと思う。声からしてきっとその時の優しい受付の人。

 一旦電話を切って言われた通り連絡を待っている間に痛みは軽くなってきた。看護師さんからの電話がかかってきて、当初は診察希望と伝えていたけど予定通り午後から緩和ケア科を受診することにさせてもらった。お騒がせしてしまったけど全然嫌な顔一つせずって感じで(電話だから顔見えないけど)、いつもながら親切でありがたかった。

  その後お昼前に2度嘔吐した。朝食後のオキシコドンに加え頓服のオキノーム散、トラマドールを飲んだせいだろうか。吐き気も嘔吐もしんどいし気持ちが不安になる。痛みも朝の1番酷い時よりはマシながら継続している。心身の不調を抱えつつ、控えめに食事を摂って薬を飲んだ後病院へ向かった。

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 予約時間より少し早く到着した。機械で受付をした後緩和ケアセンターの受付で事務の方に声をかけ診察室の前で待っていたら、緩和ケアの看護師さんたちがやって来てご挨拶していただいた。オレンジ系ブラウンの透かし編みニットと黒地に金の箔プリントのエスニックスカートを履いていたんだけど、いつも服可愛いですねとお褒めいただいた。嬉しい。

 調子を尋ねていただいたので、朝から痛みが続いていることや嘔吐のことをお伝えした。優しいお姉さん看護師さんことKさんが今回は一緒に診察室に入ってくださるそうだ。まだ呼ばれる気配がなかったので、また後で、と一旦看護師さんたちとお別れした。

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 予約時間を10分ほど過ぎた後で診察室に呼ばれた。Kさんも一緒であることに加え、入院中来ていただいたことでうみのいきもの先生とも打ち解けることができた感じがあったので、以前よりも緊張しなくて済んだ。入院中いただいた痛み記録ノートをお見せすると、その中に書いていた苛々する精神状態について聞かれたので、普段は気にならないような些細なことで苛ついてしまう、先日行ったスタバで店内の廊下を人が塞いでいたり、大きな声で喋ってる人がいたりするようなことで、と申し上げたら、いやいや、それは僕でもイラっとしますわ、とうみのいきもの先生は仰った。何を飲んだのか聞かれたのでストロベリーのお茶とお答えしたら、あのお店いいですよね、とKさんが仰ったので、この病院の看護師さんも来ておられますよ、と申し上げたら何か変なこと話してなかったですか?と仰ったので、全然全くそんなことなかったですよ、と請け合った。ほんと、前にそのスタバにいた看護師さんたちは少しも嫌なこと不快なことをお話しされていなかった。むしろ立派で安心した。

  痛みの原因を探るため、痛みが起こりがちな左下腹部をエコーで見ていただいた。とりあえず腸閉塞だとかそういったヤバい感じでは相変わらずなさそうだけど、なんか癒着とかしてるかも知れないって言われた。オキシコドンの容量を15mgから20mgに増やしてもらって、腸の動きを抑えるブチルスコポラミンという薬を新たに頓服で出していただくことになった。痛みの原因を特定するまで時間をいただいてしまい申し訳ないと謝られたけど全然いいよそんなの。とても良くしてもらっているから。

  うみのいきもの先生は去年の開腹手術に始まりその10日後にストーマ造設したこととか続く抗がん剤とか、そういう今までや現在の私の状況について触れて、それをやって来た私は強い人だと思うと言ってくれた。実際の私は弱い。脆くて傷つきやすい心を持つ死にかけの病人に過ぎない。でも私のことを強いって言ってくれる人が不思議といる。今までどれだけ泣いたかわからないヘタレな私だけど、私をよく思ってくれて、力になってくれる人が存在するという事実がとっても嬉しい。また次の入院の時緩和ケアチームで来てくださるという心強い言葉をいただいて、火曜日の診察は終了した。うみのいきもの先生やKさんと話して気持ちが楽になったことで痛みも軽くなったけれど、それでも良い調子とは言えなかったので、この日は会計を済ませた後タクシーに乗って寄り道せずに帰った。



木曜日のこと


  火曜日の診察が終わった後、がん相談支援センターで相談の予約を入れた。不調が地味に続いた水曜日を挟んで木曜日、なんとか体調が戻り予約した13時に病院へ伺った。

 今回の相談はホスピスについて。どこにあるのか、どんな場所があるのか、そもそもホスピスってなんぞや?などを聞こうと思って来た。そのようにソーシャルワーカーのOさんに申し上げた。Oさんは私の自宅住所を確認して、そこから近くのホスピス(緩和ケア病棟)のある病院を3つ挙げた。うち2つは既に検索して知っていたけど、私の知らないところが最寄りのホスピスらしかった。

 そこは隣の市なので、私が自分の住む市内で検索した時は引っ掛からなかったというわけだ。その病院は緩和ケア外来もあるらしく、それもあってそこがおすすめだとOさんは言った。でも私は今の病院との繋がりを断ちたくなかったので、同じ市内にある方の病院のホスピスに入って今の病院に通うのはどうなのかと聞いた。できなくはないけど現実的じゃないと言われた。今の病院のスタッフに慣れているでしょうし、気持ちはわかるけど、と言われた。その言われ方がなんか嫌だった。

 私はキリスト先生やGさんたち病院の皆さんに単に「慣れてる」のじゃない。私は皆さんが大好きで信頼してる。先生は信頼関係なしにはどんな治療も功を奏さないと言っていた。4日に私の今後を話した時、辛い話だったけど少しも傷つかずに済んだ。そこにいてくれたGさんも、その後の面談で大事な話を一緒に聞かせてくれてありがとうと言って、私のために涙を流してくれた。11日の緩和ケア科の診察の日にも、うみのいきもの先生やGさん、看護師さんたちがみんなで来てくれて、私のことを助けてくれた。母が迎えに来た後タクシー乗る時までお見送りをしてくれた。他にも去年の入院の時にメガネ先生や病棟の看護師さんに沢山お世話になった。先日の入院でも別の病棟の皆さんのお世話になった。外来でも抗がん剤の時でもいつも誰かが助けてくれてその全部が嬉しかった。ユニーク先生やM先生も信頼できる。ペインのT先生も、ストーマの看護師Sさんもいる。そういう全部を、その人たちとのやり取りを、Oさんは何にも知らない。私が今の病院と、そこの人たちと離れたくない気持ちはOさんには少しも理解できない。何も知らないから。

 Oさんは私に推している病院のパンフレットをコピーして持って来てくれたけど、その内容はなんだか妙にイメージ重視で具体性がなくて、到底そこがどんなホスピスか理解できるものではなかった。そして隣の市は私の住む市より治安とか行政が微妙なのでそういうこともあって本当に気が進まなかった。取り敢えずお礼を言って、必要に応じて周りの人に相談して決めようと思いますと言って帰ろうとしたら、そんな若くしてホスピスのこととか考えるのは大変だと思う、みたいなことを言われた。

 Oさんには前にも、その年齢でがんになるというのは大変だと思う、的なことを言われたことがある。すごくナンセンスだと思う。いくつであろうと人は病むし、死ぬ。年齢なんて関係ない。4日に話した時キリスト先生は誰でもいつか死ぬ、僕だってそうだ、と仰った。Oさんの言葉はキリスト先生のそれと正反対だ。私には頷けない。私が信頼するのは、信頼できるのは、キリスト先生のような考え方だ。死について、病について、若くしてどうのこうのだとかそれで大変だとか、そんな下らない精神の贅肉は必要がない。そしてOさんは初対面の時、自分は普段仕事で人の話を聞いているから家では奥さんの話を聞かない、それで怒られているけれど男性は一般に話を聞くのが苦手だ、というようなことを言っていた。これらもナンセンスな意見でしかない。仕事の話と家族やパートナーとの話と、それらは全然別次元の話だ。そして性別で決めつけるような価値観は私は明確に嫌いだ。私はOさんのこと全然好きじゃないんだな、とこの日はっきり気が付いた。

 なんだか疲れた気持ちで帰路についた。帰り道涙が出た。自分の気持ちを蔑ろにされたように感じたからだ。


そんなこんなで1週間ばかりを過ごした。来週火曜日には抗がん剤ドキシルのための入院が控えている。この薬で私の腫瘍をどうにかできるわけじゃない。効いたとしても現状維持。それでもやるのは時間が欲しいからだ。自分の納得いく最後を迎えるための準備時間が。それについてはOさんではなく、緩和ケアの皆さんや婦人科の看護師さん、あるいはキリスト先生など、私のことを実際に知っていて、わかっているまたはわかろうとしてくれている人に相談していこうと思う。上手く願いが叶うといいな。


 という感じで今回の日記は終わり。3日分まとめて長くなったけど、ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。次の日記は多分入院後になると思うけれど、よかったらまたいつでも読みに来てください。

それでは願わくばまた、別の日記で👋

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