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日記#01 美術館は私の場所じゃない

2023/08/06

何というか、昨日は美術館へ行った。大阪にある美術館。

私は去年がんって言われたんだけど、そういう重大な病を患うと人生も人生観もがらりと変わる。とりあえず、自分の今後の人生すべてが確実に死を包含するものとして突きつけられるわけだ。それって大抵の人にとってヘビーな体験だと思うけれど、私にとってはもちろんそうで、考え方や行動がお陰で随分変わったよ。

私がそれまで怖がっていた外の世界が実は信頼できる人もいる場所だとわかって、逆に今まで一緒に過ごしていた家族のことが心底無理になった。家族は私を愛してはおらず、私は家族を心から愛していたり信頼していたりしたことがなかった事がはっきりした。

がんの治療をする中で出会った主治医の先生がほんとに信じられる方で、そこでまず世の中には信じるかどうかを迷わなくても良い人が、絶対私を傷付けないと思える人がいるんだって思って、そんな人はこれまでただの一人も出会ったことがなかったから先生のことは初対面から100パーセント信頼したし人類の中でもトップクラスに好きな人だ。

そして手術で子宮とか卵巣とかとるために入院した時、初めて知らんとこで毎日知らん人と過ごす感じになって最初はマジで不安で、看護師の人とかに嫌われたり虐められたりするんじゃないかと真剣に恐れていたんだけど、そんな事は全然なくむしろめっちゃよくしてもらった。感謝しかないよ看護師さんたちには。

病棟での主治医の先生は信頼する我が主治医(キリスト級に信じられるので仮にキリスト先生とする)とはまた別の人で、その人はキリスト先生よりも多分若くてそして経験も少なく、初対面の時アホ大学生みたいに超ヘラヘラしてんなこいつって感じの態度で印象激悪だった上に手術翌日熱出てPCR検査することになった時、多分主治医がやらなあかんのやろうが看護師さんの話では連絡がつかず、どこで何してたのか知らんがとにかくこのメガネ野郎は来なかったのだ。結局別の先生が代わりにやることになった。

そしてその日の午後やっと来たメガネ野郎は(キリスト先生は朝早くに来てくれた)キリスト先生から聞いてると思いますけど、と前置きした後私に化学療法が絶対必要です、そして人工肛門になる可能性がありますとか言ってきおった。とんだ爆弾落とされた気分だよ。しかも実際にはとってないリンパとったことになってて、リンパ浮腫とか蜂窩織炎とか超怖くてしかも人工肛門て。って感じでめちゃくちゃ死にたくなった。それも絶対メガネの勘違いだろとか思ってほんとコイツ嫌いって思ってたんだけど、退院3日後に熱出て病院行ったら腸に穴空いてるかもとか言われてマジで人工肛門になることになって(一時的なものなんだけどその時はそんなの分からんからやめてくれよマジで泣くよって感じだった)緊急手術からの入院したんだけど、またメガネ野郎が病棟主治医になって超不安とか思ってたらなんか別人みたいにまともだったんだ。ちゃんと仕事してたし、まあそれは当たり前なんだけど、それに腹水のバイ菌のせいで熱出てくそしんどくて、看護師さんに痛い手術2回も耐えられたから大丈夫だよって言われてそんなん言われてもしんどいし痛いとか苦しいとか経験したから大丈夫になるとかなくてむしろトラウマになるんですよって言ってぐったりメソメソしてたらメガネ先生は抗がん剤やって人工肛門閉じましょうっつって励ましてくれたんだ。

手を痛めて整形外科手配してもらった時デイルームから部屋へ帰りながら話聞いたんだけどその時洗い洗い物入ったかご私は持っていて、それを待ちますよって言ってくれた。濡れてるし軽いし悪いから断ったけど、病人に対して優しいところあるやんって思った。そしてメガネ野郎改めメガネ先生のことも信頼して好きになってきたんだけど、そのメガネ先生とか他にもいっぱい、外科の先生とか前から診てもらってた内分泌科の先生とか、病院の職員の方とかお世話になって、その皆さんのこと好きになった。

そして同じ部屋の患者さんにすごく優しくしてくれる頼もしくて温かい心を持った方がいらして、入院中はほぼその方と毎日顔を合わせて挨拶とかちょっとお喋りとかする感じで、最初病室の洗面台のところで優しく「使う?」って聞いてくださって、トイレで手を洗ったので大丈夫だったからそう申し上げたんだけどそこからお話していただけるようになって、いつも励ましたりほめたり(大丈夫やで、とか頑張ろうな、とか、綺麗やで、とかいっぱい嬉しいこと言ってくださった。あと私のこと実際よりかなり若く思っておられてそれでより気の毒な感じに思ってくれたのもあるかもだ)してくださった。ご自身も病気なのに。私が退院する1日前に退院されたので入院期間の大半をご一緒したことになる。私はその間この方からとても温かいものをいただいた。(キリスト先生を別にすれば)初めて人に本物の温かい気持ちを向けてもらった。この方を私は大好きになって、おかげで人を大切に思う気持ちを知ることができた。今元気にされてるといいと思う。絶対苦しんでほしくない。

こういうことがあって、こうした人たちからの本物の助けや優しさがあって、それを味わったことで家族がいかに偽物かを再確認した。
家族が偽物ならもう家は安全じゃない。安心もない。私はずっと1人だったけれど本当は信頼できる誰かやそばにいてくれるひとが欲しかった。先生たちは信頼できる。いつも一緒にいられたら良いのにと思う。でもそれはできない。私が安心できるのは病院と先生たちに対してだけ、それ以外のどこにも誰もいないし何もない。
そんな現状を変えたくて2月末に退院してから気持ちが苦しくて辛かったけど4月ぐらいから色んなところへ出かけたりして私の安地を探してたんだ。患者会は一度行ったけどいい感じだった。他には買い物行ったり京都行ったり病院近くの書店やスタバで過ごしたり博物館行ったりそんなん。

美術館には昨日含めて通算3回行った。何故美術館へ行ったかというと、芸術は人の心を自由にするためのものだと思ったから。そういうものに触れて心を開けるようにしたかった。でも実際行った美術館は心が開けるような場所じゃ全然なくて、変に静かで誰も喋らず音も立てず、耐えず職員が見張る中緊張を強いられながらギャラリーを進んでいく感じだった。喋ったり音立てたら作品が機嫌損ねるとでもいうのかよ。馬鹿馬鹿しいほど重々しくて、とてもスノッブで、がっかりした。美術作品ってこんなに嘘くさく扱われるものなんだな。退屈だった。作品自体が好きで、それ見るだけで天にも昇る心地になれる人なら美術館大好きなのかも。私はそうじゃないから虚しい気持ちにだけなった。

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