見出し画像

手術前夜の不安:子宮卵巣摘出と私のジェンダー

2023/08/11

すでに申し述べたように、私は子宮と卵巣のがんに罹り手術で腫瘍もろとも子宮および卵巣卵管を摘出された。

言うまでもなく子宮を摘出すれば妊孕性は失われる。つまり赤ちゃん産めなくなる。結構沢山の女の人にとって、そういうのって抵抗あるんじゃないかな。

私の場合そもそもどうするかの選択の余地はなくて、始めから手術受けるってのは決まってた。大学病院に転院する前の病院ですでに手術するよって言われてたし。キリスト先生から勝手ながら手術の日取りを決めさせて貰いましたって言われてそこから一ヶ月くらい待って手術に臨んだ。それで不満だったってことは私はないよ。子供を持つオプションは私の人生に最初から組み込んだ覚えなかったし、ていうか子供欲しかったらもっと早い段階で作ってるからね。それでも、いざ実際に子宮と卵巣が無くなった時自分がどう感じるかは分からなかったから、漠然と不安があったよ。

具体的にどういう不安かというと、女子用臓器無くなったらジェンダーとか性的指向とかに影響が及ぼされるのかっていう不安。私は体も心も女性で、男性が愛の対象になる異性愛者だけど、その私から女性にのみある臓器が失われることで何かが変更されたらどうしようとか思った。

もちろん子宮がなければ、生理がなければ、子供産めなければ女じゃないとかいう古くさくてヤバすぎる戯言を間に受けているわけじゃない。それでも何事であれ実際なってみないと分からない。予想なんて簡単に覆される。未来はいつも不明だ。

手術前日に入院して婦人科病棟のベッド空きがないとかで一泊8万の超セレブ部屋で一晩過ごすことになった。ちなみに無料。ほんとに凄まじい部屋だった。テレビと応接セットがどういうわけか2個もあった。クローゼット絶対私の持ってる服全部入る。ミニキッチンがあって専用バストイレ完備。後で移った四人部屋よりその一人用セレブ部屋のが広い。どんな女優や政治家が泊まるのって部屋。でもそのゴージャスさを堪能するゆとりなんて微塵も無かった。手術不安で怖くて一晩泣き明かしていたから。

前日キリスト先生に会えていたら良かったんだけど、残念ながらメガネ先生との初対面だった。前も書いたけどメガネ先生の第一印象はクソ最悪だったから不安しかなかった。眠れぬ夜が明けて病棟主治医として部屋に来たメガネ先生はすごい部屋泊まってますねー、とか言って、眠れんかったって言ったらそれは良くないですね、でも麻酔で寝られますからね!って冗談かマジか分からんことを言ってきた。人によってはこういうの怒ると思うんだけど、メガネ先生そういうことなかったんかな?

まあそれはさておいて、手術終わって私の性自認や性的指向はどうなったか?
結論から言って、女子用臓器を失ったことで私のジェンダーや性的指向は毫ほども変化しなかった。前と一緒で普通に自分女子やなって思った。男の人に対しても何も思わなくなったとか無い。もう子宮も卵巣もなくて子供も産めないのに、男性に性的な意味で惹かれる。不思議。だけど考えてみれば(あるいは考えてみなくても)別に不思議でもないよねこれ。だってトランスジェンダーとか同性愛者(バイとかパンの人も)がいるじゃん。その人たち体の性関係なかったり生殖できない相手に惚れたりしてるよ。

結構真剣に不安になっていたことだけど実際は何も変わらなかった。変わるかもと考えてた時は怖かったけど、手術の後はなんだー、変わらないな、よかったと思った。

私はずっと引きこもりだったから、別に殊更女子として生きてたわけじゃ無いし、異性愛者っていうのも周り男の人いないから別に関係ないし、だから自分が女性だってこともほぼほぼ意識してなかったんだけど、がんになって手術して女子臓器なくなってからなんか逆説的に自分が女性だってことが意識されるようになった気がする。失われたことでむしろその存在が意識されるようになったというか。わかるかどうかわからないけど。

まあとにかく私が女性ってことは子宮と卵巣無くなっても変わらなかったし、むしろ今の方が女性っぽいことをしていたりする。例えばいつも爪塗ってたり、ファンデは肌弱くて無理だけど口紅はつけたりしてる。マスク必須(抗がん剤で白血球減って免疫下がる)だから意味ないけど。なるべく良い感じの見た目になりたいと思うし、服装も体重が激減したことで選択肢が増えた分色々と着て楽しんでいる。

とにかく私が身をもって知ったのは、生殖器官のありようは自分の性別や性自認を決定づけないんだなってこと。自分が恒久的に変化するのって体でも心でも不安だったけれど、子宮や卵巣を取ることで子供できなくなって不幸とか全然ないし、性的アイデンティティも変わらなくて、すっごい傷はできたし術後めっちゃ痛かったけど、望まない変化は何もなかった。

私が子宮卵巣摘出手術から学んだのは以上のようなこと。授業料高かった上に痛かったけど。でも自分に対する理解がすすんで、自分の輪郭がはっきりして、ただがんの治療をしたってだけじゃない経験だった。今後もこういうビビッドな経験が沢山したいので、死ぬまでの人生を一生懸命生きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?