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また私は泣いてる。:馬鹿どもなんて大嫌い。

2023/08/13

記事タイトルのとおり。また私は泣いてる。
もうずっと涙が友達だ。退院してハセガワさんや病棟で会った人たちに会えなくなってまた家で親しかいないところで過ごさざるを得なくなった時からずっとそうだ。

ここにいるとだんだん気持ちが動かなくなってくる。人生が停滞していく。檻に閉じ込められていく。愛を感じる人に会えなくなっていく。

病院で先生たちに会った経験は、初めてお城のパーティーに招かれて初めてお腹いっぱい食べることができて、賢く優しいプリンスやプリンセスたちとお会いして世の中にはこんな人たちが本当にいるんだって思って、夢に見たような切望していたほんとうの人や世界に行くことができたような感じだった。幸せだった、ほんとにキリスト先生みたいな人がこの世にいてそしてそんな人に会えて言葉を交わせて。

だけどパーティーが終わって家に帰ったらそこは相変わらずのスラムで、ひどい愚かな人間が、自分の愚かさに平然としているような非知性的な人間たちが馬鹿げたことしか言わないやらない腐った世界が変わらずあって、そこは私が人を信じられなくなった地獄で、そんなところにまた居なくてはならないのだ。私じゃなくても泣くだろう。

私は賢い人が好きだし、賢い人しか好きじゃない。馬鹿は嫌いだ、大嫌いだ。なぜならこういう奴らはいつも間違ったことばかり言ったりしたりしているからだ。まともなことを考えず、ズレた価値観や思い込みに没頭し、会話しても何の手応えもない。こういうやつらは苦痛だ。

誰も話せる人がいないのって辛い。辛すぎる。私はひとりぼっちでも平気なんかじゃない。親たちは私を一人が好きな人間だと決めてかかっていたけどそうじゃない。嫌な奴らと話したくないだけだよ。

がんで辛いのとか副作用でしんどかったのとか、そういう苦痛に比べたらものの数じゃないマジで。そもそもがん治療はキリスト先生が信じられるので辛かったけど辛くなかった。これからどんな治療が待ってるのか、私の病気がどうなるのかは分からないけど、キリスト先生が一緒なら平気。

せっかく先生たちのおかげで人を信じられるようになったんだから、もう元のところに戻りたくなんてない。だから、馬鹿で、そして馬鹿であることを何とも思わない私の両親のことは大嫌いだ。

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