アンサーエンド

甲斐さんの記事、最高でした。

このことについて書いておきたくて、でもどこに書き記すべきなんだとうと僕の頭の中でごにょごにょしていたところnote!なるほど!となり筆を取っています。

今回2020年6月の末に全編宮崎ロケを行い(もちろん密にならないよう、衛生面に気をつけて)、今自分ができるありったけの撮影の能力をこの作品にぶつけました。

https://www.youtube.com/watch?v=aP3i_6DRN_o

僕たちJOINT(都内で映像制作チームを作っています)は、今回何を証明したかったのでしょうか。

1、自分たちが今どこまで「撮影」「制作」できるか

2、自分たちが今、仕事じゃなくてもクリエイティブできるか、またはそれを全力でできるか

大枠はこの2点の為に宮崎ロケを敢行致しました。

そして意外なことに、そのアンサーはまっすぐな答えでは出て来ず、新しい課題を僕たちに投げかけました。

1、撮影、制作は可能だけれど、演出を最大限に活かす為には各部署が必要で、その為にはもっともっと「人」が必要で。

そして人が集ってくれるような作品を作らなくてはいけなくて。

卵が先か鶏が先かみたいな話になりますが、結果としては常に最大限でぶつかり続けることが、これから先も大事なのだなというのがアンサーだと思います。

普段仕事で関わっている他部署が何をしているのか、身をもって知り、またその他部署を人材として求めるという課題が残りました。


2、甲斐さんの記事にあるように、サムタイム時々は本業がサラリーマンで、副業でバンドというような形になっています。

副業とはなんでしょうか?

一般的には本業の他になにか収益を得る事業を行うことですが、ここでいう副業はそういう意味ではなく、本業の他に「本業並みの意識で何かを行うこと」だと思います。

人が作品を作るにはお金が必要で、みんなそれをどうにかこうにか捻出しています。
その中でお金のやりとりが発生する以上仕事という枠に入るので副業という概念に入ると思うのですが、例えばお金が全く絡まなくても人は物を作るのでしょうか?

この投げかけはバンドメンバーと話している中でとても印象に残っていることでもあります。


なぜ作るのか


僕たちは映像制作を仕事にしていて、それを生業にしています。

自分の生活も家族の生活も「何かを作ること」で養っています。

でも彼らは本業がそれぞれにあり、物を作ることが生きていく為に必要なことではありません。

ではなぜ作るのか。

実は物を作ることを生業にしている我々の「作る欲求」と彼らの「作る欲求」は同じ形をしています。

僕たちクリエイター(職業にしている人のことをここでは言う事とします)は、作る欲求を忘れずに何かを作っています。

当たり前のことのようですが、これはクリエイターサイドとしてはうなずく人が多いんじゃないでしょうか。

クリエイターは課題に対して「答えを出してあげること」を約束します。

そしてクライアント(広義での、つまりプロダクションも含む)は「その過程をマネタイズすること」を約束します。

甲斐さんの記事が素晴らしいなと思ったのがここに結びつくのですが、

「それが本当に音楽としていいものかどうかというのは別である」

答えを出し、マネタイズさせることが音楽としていいものがあがるエビデンスにはならない、ということですね。

「答え」を出すのは実は勉強と経験で出せます。

だけど僕たちは「作りたい」という欲求がものを作る原動力になっていると信じたい(そうではない人がいるのは重々承知です)ので、自分たちがちゃんと「作りたい」のかが知りたかった。

今自分が作りたい物を、100%信じて突き進んで見たかった。

そしてそれをバンドのメンバーが見て、納得できるクオリティラインに落とし込みたかった。

言い訳なしに、全力を出し切りました。

これが、今僕ができるありったけの「作りたい」です。


今僕はやれるだけのことをやった後に、いつものように多少の後悔をしています。

それは僕の好きなことをまるっと詰め込んで、作りたいことを作り切ったからです。

つまり「答え」は実は別にあって、もう見えている。

次は、しっかりと「答え」と向き合って次のステップで「答え」と「作りたい」を共存させようと思っています。


-追記-

僕の本業はエディターです。

映像を編集する人のことです。

監督業は年間通して片手に登らない程度の売れない監督です。

僕にとっての「監督業」は彼らにとっての「バンド活動」と同じなのかもしれないと思いました。

僕はまだバンド活動を続けます。

次回作お楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?