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長編作品の執筆の裏話(1)

マガジンとして公開している『青年期の知的迷路から脱出する方法』を執筆した裏話である。今回は、なぜ『青年期の知的迷路から脱出する方法』という長編作品を書く気になったのかということに触れよう。

私はずっと以前からこの手の作品を書きたいと思っていたのであるが、何となく先延ばしにして、歳を重ねてしまった。これではいけないと思い、今回、執筆に踏み切った。

なぜこのような長編作品を書いたのかといえば、自分が年をとってくるにしたがって「自分がいつ死ぬかということは分かったものではないのであるから、元気なうちに自分の考えを書き遺しておきたい。」という気持ちが強くなってきたからである。

「いつ死ぬか分からない」と言って怯えるかのように過ごすのは、杞憂で馬鹿げた心情であるかもしれない。もちろん私は過度に怯えているわけではないが、思い当たる節(ふし)があるので、楽観視はできない。思い当たる節というのは、両親の身に起こった病気のことである。

13年前、私の父は突然死んだ。死んだ当時の父は、日頃から畑作業をしており、いつも元気であった。私が知る限り、父は体力には自信があるようであった。そんな父が、ある夜「胸が痛い」と言い出した。その顔色は悪く、これまで見たこともないような黄土色をしていた。その深夜、別室のコタツで仰向けになって寝た恰好でそのまま死んでいるのを、当時同居していた母と私が発見した。すでに死後硬直が進んでいた。あまりにも突然で、あっけない死に方だった。死亡年齢としては「若い」と言われる部類であった。

私の母は、今の私よりも若い年齢の頃に、命を奪いうる病気にかかっていることが判明した。幸い、病変のある器官を手術により摘出することで生き延びた。なお、その数十年後、母の姉と弟が同種の病気にかかっていることが判明した。

翻って、そんな両親のもとに生まれた私は、将来はどのような病気で、いつ死ぬのだろう? もし遺伝的な要因があるとしたら、私もそう遠くない将来に両親のいずれかと同じ病気にかかるのだろうか? こう考えると、自分の死がひょっとしたら遠くないかもしれない、という思いが杞憂であるとは言えまい。

それとは別に、自分の死に方はどんなふうだろう? 脳血管が派手に破裂して一瞬で意識を失って逝くのだろうか? それとも癌のようにじわじわと逝くのだろうか? それは分からないが、死を意識せざるを得ない体になると行動の自由が大きく制限され、成し遂げたいと思っていたことがあっても成し遂げることができなくなるであろう。成し遂げることができないその状況は、病気になったこと自体よりも自分にとって悲劇であることは疑いない。

私は、自分が平均寿命まで生きることができるとは考えていない。そう予測しておくことが現実的であると思っている。平均寿命よりも早く死を迎えるであろうという予測のもとに今後の人生を濃密に生きていこうという姿勢をもつことが、結果として悔いのない人生を歩めることに繋がると思うのである。その一環として、私は自分が成し遂げたいと思うことをこれまで以上に積極的に実行に移す決意をしたのである。

ここで自問する。自分は具体的に何をするのか。何を成し遂げたいのか。

私は生来、「作品づくり」が好きであるので、何らかの作品をつくること、そして遺すことが、生き甲斐になっている感がある。自分の作品を他人に味わってもうことが私の喜びである。何をするのか、とか、何を成し遂げたいのか、とかいう自問に回答するには、時間を要しなかった。

『青年期の知的迷路から脱出する方法』を執筆したことは、その実行の一つなのである。

なお、冒頭のほうで、この本を書くことを「何となく先延ばしにして、歳を重ねてしまった。」と書いたが、これは必ずしも悪いことではない。歳を重ねながら新たに気付いたこともあるし、年月を経たぶん表現技法も向上したからである。

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