見出し画像

ホームシック

新婚時代をわたしは東京で過ごした。

遠距離恋愛の末結婚することとなり、2020年の4月から夫のいる東京へ上京することになった。

しかしコロナウイルスの流行と第一回目の緊急事態宣言が東京都に発出されたことにより、延期に延期を重ね、予定から3か月以上遅れてようやく上京することが出来た。

29年間住み慣れた田舎を離れたあの日のことは、忘れもしない。

その日は、母が近くの空港まで車で送ってくれた。寂しさもありだんだんと無言になっていく車内。

母は、明らかにいつもの母ではなかった。ずっと一緒に生きてきた娘が、遠くへ離れてしまう寂しさは想像を絶するだろう。

手に職を持ち、ずっと地元にいると思っていたに違いない。わたしも夫と出会うまではそう思っていた。

わたしは母の様子に気付かないフリをして、いつも通り明るく振る舞った。

別れ際は「いってくるね、また顔出しにすぐ帰るから安心してね」と一言だけ伝えた。

これまでの感謝の気持ちは、言葉では言い表せないほどあった。複雑な家庭環境を共に乗り越えてきた。

母がいなければ今のわたしはいない。

でもここで伝えると永遠の別れになってしまう気がして、怖くて言えなかった、言わなかった。

わたしの言葉に小さく頷く母。
車から降りて手を振る。最後に母は寂しそうな笑顔で小さく手を振った。

小さくなっていく母の車を見守りながら、胸が痛くてたまらなかった。1人になった瞬間涙が止まらなくなった。

そして泣きっ面のまま飛行機に飛び乗った。

当時の閑散とした羽田空港

寂しさを抱えたままわたしは上京した。

そしてここからわたしは人生で初めての強烈なホームシックを経験することになる。

この辛さはおよそ1年にもわたってわたしを苦しめ続けた。

1か月くらいは、東京の街並みが物珍しく、スーパーや薬局の場所を覚えたり、電車に慣れるのに必死であまり寂しさも感じなかった。

しかし1か月経って就職活動を始めた頃から徐々にホームシックの症状が出現し始めた。

1番多かった症状は、家に帰ってきて静かなマンションに入ると、理由もなく涙が止まらなくなることだった。

わたしの地元は人口も少なく、電車もほとんど通らない田舎町だった。

29年間山と海に囲まれた小さな町で生活し、週末には慣れ親しんだ友人と出かけるのが楽しみだった。家に帰ると両親が必ず迎えてくれて、近所に住む兄弟にも頻繁に会いに行き、賑やかに暮らしていた。

ところが東京での暮らしは全く違う環境で、電車に乗らなければ移動は出来ず、山も海も見えず、果てしなくビルが続いていた。地元より賑やかで多くの人が行き交っている街なのに、知っている人は夫しかいない。

全く環境の違う中で忙しい生活を送り、少しずつ孤独が深まっていった。こんなにキラキラした都会に住んで、寂しいと思う日がくる事は想像もしていなかった。

上京して半年くらいは泣いてばかりだった。家族が殺される夢を頻繁に見たりもしたなぁ。(夢占いでは自立を意味するらしい)

しかしこのままではよくないと思い、仕事が休みの日はなるべく出かけることにした。よくテレビで見る場所や有名な観光地など、1人でも出かけ、東京という街を知っていこうと思った。

東京は確かに楽しい場所だった。ニュースでよく聞く地名や観光地、有名なご飯屋さんがマンションのすぐ近くにあり、芸能人も見かけ、遠くの世界と思っていた東京都が身近な存在になっていった。

このようにして昼間は楽しく過ごせていた。

しかし静かなマンションに帰ってくるとふとした瞬間に涙が出てきたり、実家で使っていた洗剤の香りを嗅ぐだけで胸が痛かった。

初めての都会での暮らしに、コロナ渦という状況も加わり、なかなか新生活に馴染めずにいた。


しばらくの間は、地元の友人からのlineも途切れなかった。「どうしてる?」「元気?」と。

ただ日が経つごとに少しずつ連絡も来なくなった。そして徐々にLINEの通知は誰からも来なくなった。

それはそうだ、当たり前のこと。明日会う約束も出来ない、遠方に嫁いでしまった人間に、いつまでもだらだらと連絡をすることなんて基本的にはないだろう。

住む場所が変われば、コミュニティも変わってしまう。

友人からの連絡が減っていくことにも孤独を感じて、また涙が出る。

上京前から不安は確かにあった。でも東京ならきっと楽しい瞬間もたくさんあるはず。

人口も日本一だから友人もすぐに出来るはず、そんな風に期待もしていた。

しかし期待していた楽しい生活は送れず、精神的に落ち込んでしまうことが多かった。『自分は何者でもない』と感じ、ただ孤独で、1人ぼっちになってしまったと思った。

しかしこの経験から、これまで知らなかった自分の弱さと向き合うことが出来た。
自分の力でお金を稼ぎ、自分は自立していると思っていた。

これまでいかに周りの人に支えられて生きていたか、地元を離れて痛いほどわかったのだ。

そんな不安定なわたしだったが、1年経過した頃にはようやく涙も出なくなった。

孤独感は変わらずあったが、気にしなくなり、東京という街を純粋に楽しめるようになっていた。

都会ならではの楽しみ方を知り、田舎では出来なかった経験もたくさん積むことが出来た。


今は地方都市に移ったが、都会の生活の便利さにも慣れてきて、前を向いて人生を歩いている(と思っている)。夫の力を借りなくても、どこへでも行けるようになった。

様々なことに挑戦し、それなりに日々の生活も充実している。

友人や家族がいる上で成り立っていた充実感は、自分の力で埋めることが出来るようになった。

こうして1年間わたしを苦しめたホームシックは、東京の生活に慣れたことにより収束を迎えた。

夫と結婚したことに悔いはない。夫の親族も優しく、良縁だったと思っている。

しかし愛する家族や友人のいる地元を離れるという選択が正しかったかどうか、今はまだわからない。

もし地元を離れていなかったら、今もまだ同じコミュニティの中で穏やかに暮らしていただろう。みんなで一緒に年を重ね、子どもが出来たら、母に頼りながら育てていたに違いない。

でも地元を出なければわからないこともたくさんあった。わたしの世界は、間違いなく上京したことによって広がったのだ。


遠方で生活している娘のことを、母は今どう思っているだろうか。もう寂しくはないだろうか。

今はわたしがいない生活に慣れたようで、孫の世話に追われている母。しかし寂しさや苦しさを口に出さないその我慢強さから、本音は未だにわからないままだ。

それを聞く勇気はわたしにはない。それを知ったところできっと誰も幸せにならない。

上京前の、別れ際のシーンはいまだに鮮明に覚えており胸に刻まれている。きっと母はもっと鮮明に覚えていることだろう。

あの時もっと気の利いた言葉を伝えられていたらよかったのかな。

夫婦で帰省するたびに何もなかったかのような笑顔で迎えてくれる母。

そんな母を見るたびに、今進んでいる道は正解だったのか考えてしまう。


正解なんてないものの答えを、わたしは今も問い続けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?