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⑬書くプロセスを楽しめた話

8月からnoteを書き始めて、「私は一体何を書きたいんだろう?」と漠然と思っていました。自身に蓄積された体験や、日常を切り取ったエピソード、など試行錯誤していました。

先日、わだつみ@さんの"読書感想文"で「書いた文章は基本的に誰にも読まれない。だからこそ自分が面白いと思えれば幸せ」という記述を目にしました。

いったん話がそれますが、一時期、イラスト創作をされている人たちのnoteを眺めていた折、「発信」が前提で「バズり」を目指して描いている人がいることに驚きました。

私は、かつで本や雑誌の挿絵を描いていた時期があります。
もちろん、掲載されて手元に本が届くのは喜ばしかったです。
ただ、読者より先に校正刷りを読んで、そこから想像を膨らませて、画材などを工夫しつつ、イラストに落とし込むプロセスが楽しいと感じていました。

「バズらない」ことでイラストを描くのが辛くなるとしたら、それは悲しいですよね。

などと思っていたところで、「書いた文章は基本的に誰にも読まれない。だからこそ自分が面白いと思えれば幸せ」を目にして、ハッとしました。文章は、イラストと違い直感的に評価されにくいものですが、私は自分が考えていた以上に発信に固着して、人に読んでもらいたいと思っていたかもしれない。

私は仕事でちょっと作文したりするので、スキルアップのためにnoteを始めたはずなのに、どこか不純だったのかも。昔挿絵を描いていたときのように、「プロセス」を楽しめれば良いではないか、と思い至りました。

最近、ふとしたきっかけで「ショートショートnote杯」というイベントを知り、フィクションを書いてみました。(11/14締め切りでした)

出来は自分では判断できませんが、自分が作ったキャラクターの目線で見たり、考えたり、といったプロセスが楽しかったです。

「自分が面白いと思えれば幸せ」とは違うけども、私は「自分が楽しんで書ければ幸せ」のような気がしました。

そして、わだつみ@さんが紹介されていた本を、私も読んでみようと思っているところです。

今日はこんなところで。




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