【雑記】『R-TYPE』発『高橋名人の大冒険島』行きの話

*以下補足がない限り『R-TYPE』は初代『R-TYPE』を、アイレムは旧アイレム社(現アピエス社)を意味しています。


昨年シリーズの新作『R-TYPE FINAL 2』も出た『R-TYPE』。

『R-TYPE』と付随してよく言われるのが
「『R-TYPE』と『イメージファイト』は企画者が同じ」
ということです。
逆にその企画者が『R-TYPE』と『イメージファイト』以外のアイレムのゲーム、及びこれら2つ以外のシューティングゲームを企画したという話を、少なくとも私は聞いたことがありませんでした。

以下は『R-TYPE』企画者の情報をネット上で追ってみた際のメモです。


『ゲーメスト』1987年12月号(No.15)に掲載されている
『R-TYPE』開発メンバーインタビュー
だと企画者(記事中では"ゲームデザイン"となっています)は
ABIKOさん
というペンネーム変名になっています。

このインタビューはゲーメストの増刊『ザ・ベストゲーム2』に再録されています。ただし本誌掲載時のAKIOさんが描いた開発メンバーのイラストは省略されています。

『R-TYPE』のランキングにABIKOさんの名前があります。

https://www.youtube.com/watch?v=9o58aL1bKnU&t=124s
初期値だと1位にABIKOさん

『イメージファイト』でも同様です。

https://www.youtube.com/watch?v=FXMktjkkq58&t=23s
『イメージファイト』でも初期値だと1位にABIKOさん

少し調べると出てくる情報なのですが、ABIKOさんの本名は
今田真二さん
だそうです。

今田さんはアイレムを退社後「株式会社プロデュース」を設立、プロデュースは『エルナード』、『ブレインロード』、『ミスティックアーク』、『スーパーボンバーマン』シリーズ、そして『パカパカパッション』シリーズなどの開発を行いました。
プロデュースのサイトには記載がありませんが『ネオボンバーマン』、『ジャストブリード』のスタッフクレジットにも今田真二さんの名前があるので、これらの開発にも関わったようです。

https://web.archive.org/web/20000510054117/http://www.pro-net.co.jp/company/top.html

今田さんのこと、及び今田さんまたはプロデュースが関わったゲームの年表を起こしてみると(*全ゲームを網羅していません)

1986年:今田さんアイレムに入社
1987年7月:アーケード版『R-TYPE』発売
1988年11月:アーケード版『イメージファイト』発売
1989年:今田さんアイレムを退社
(今田さんはアイレムに4年間在籍)
1990年4月6日:今田さん株式会社プロデュース社設立、基本開発のみで販売は他社が行うことが多かった(例外あり)
1991年2月22日:『オルディネス』発売(販売はハドソン)
1992年1月11日:『高橋名人の大冒険島』発売(販売はハドソン)
1992年12月15日:『ジャストブリード』発売(販売はエニックス)
1993年4月23日:『エルナード』発売(販売はゲームプラン21≒エニックス(であると私は認識しています))
1993年4月28日:『スーパーボンバーマン』発売(販売はハドソン)
1994年1月29日:『ブレインロード』発売(販売はエニックス)
1994年4月28日:『スーパーボンバーマン2』発売(販売はハドソン)
1995年7月14日:『ミスティックアーク』発売(販売はエニックス)
1996年4月26日:『スーパーボンバーマン4』発売(販売はハドソン)
1996年11月15日:『怪獣戦記』発売(開発、販売ともにプロデュース)
1997年5月1日:『ネオ・ボンバーマン』発売(販売はハドソン)
1997年12月5日:『デュアルヒーローズ』発売(販売はハドソン)
1998年11月:アーケード版初代『パカパカパッション』発売(販売はナムコ)
1999年3月18日:『ミスティックアーク まぼろし劇場』発売(販売はエニックス)
1999年12月:アーケード版『パカパカパッションスペシャル』発売(販売はナムコ)
2000年2月24日:『KAIKANフレーズ 堕天使降臨』発売(販売はエニックス)(パカパカのような音ゲー)
2000年頃(詳細時期不明):プロデュース業務停止
(プロデュースは15年ほど休眠状態だった?)
(2010年頃:『パカパカパッション』の権利がD4エンタープライズ移行?→ここから"パカパカパッション"で検索してみてください)
2015年2月4日:プロデュース破産?


プロデュースは基本的に開発のみを行い、販売はエニックス、もしくはハドソンが行うことが多かった=この2社から受注した仕事が多かったようです。
(プロデュースが開発と販売の両方を行ったのはPS1『怪獣戦記』、PS1『パカパカパッション』、PS1『パカパカパッション2』の3作品?←未検証)

上記の年表を作るにあたりプロデュースのことを検索したところ、結構多くのゲーム開発に関わっていたことがわかりました。


『パカパカパッション』シリーズのアーケード版はナムコ販売、プレイステーション版はプロデュース自身が販売を行っていたのですが、Wikipediaのパカパカパッションのページによると

パカパカパッションスペシャル(1999年12月稼働)
(中略)
いずれの作品もPlayStation(以下、PS)向けに移植版が発売された。パカパカパッションは1999年6月24日に、パカパカパッション2は2000年4月27日にそれぞれプロデュースから発売された。しかしパカパカパッションスペシャルについては、発売前にプロデュースが業務を停止してしまったために発売が危ぶまれていた。結果的には2002年4月4日に発売元をサイバーフロントに引き継いだ上で発売された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AB%E3%83%91%E3%82%AB%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

ということで、プロデュースは2000年頃に何らかの理由で業務停止したようです。インターネットアーカイブに残っているプロデュースのサイトは2000年4月21日に更新されているので、それ以降に何かがあったと思われます。
プロデュースの仕事の大きな発注元であったハドソン。そのハドソンのメインバンクである北海道拓殖銀行の経営破綻が1998年1997年11月コナミがハドソンの筆頭株主になったのが2001年。ハドソンの業績悪化に伴う業務、組織変更。それに伴いプロデュースへの仕事の発注が減った/なくなったのでは?というのが私の推測です。プロデュースの業務停止はこの辺が関係しているのかもしれません(*完全に憶測で書いているので根拠がない点にはご留意ください)。

2015年のプロデュース破産は真偽が不明ですが、参照したサイトに掲載されている住所情報は(一部マスクされてはいるものの)プロデュースと一致しています。本件は官報に記載があるようですが、官報の確認はしていません。


プロデュースの作品に関わっていた鈴木俊之さん(1995年頃まではプロデュースの社員だった?)のサイトによると、『オルディネス』は『R-Type外伝』と言われていた、もしくはそのようなサブタイトルが付いていたようです。

https://web.archive.org/web/20160918164339/http://www.d3.dion.ne.jp:80/~suzukixx/PROFILE.html
余談ですが『高橋名人の大冒険島』や『スーパーボンバーマン2』などのSFC作品(≒非ポリゴン作品)においての3D Engine担当とはどのような意味なのでしょうか?

『R-Type外伝』というタイトルが開発時のコードネームや仮称だったのか、それともアイレムから許諾を受けた/受ける予定だったのか不明ですが、オリジナルの『R-TYPE』企画者が設立した会社が『R-Type外伝』を開発するというのは、ある意味で「筋が通っている話かもな」と感じました。

『オルディネス』のディレクターはKYON KYONとなっていますが、これが今田さんであるかはわかりませんでした。

【PCE】オルディネス【エンディングまで】

クレジットにはplannerが出てきません、
企画と統括をこのKYON KYON氏が同時に行ったと思われます

しかしながら。『オルディネス』以外の、『スーパーボンバーマン』、『高橋名人の大冒険島』、『天外魔境 電脳絡繰格闘伝』等のプロデュース開発参加作品のスタッフクレジットにもKYON KYONが出てきます。
田さんの名前には小泉日子さんと同じ""が含まれており、そこから
「小泉今日子さんの愛称であるKYON2(キョンキョン)を引用した」
という可能性はありえそうです。何らかの事情で今田さんの名前が出せない場合に使用したのがKYON KYONだったのかも?
この推測が正しいとすると、『オルディネス』は
「今田さんによって作成されたシューティングゲーム、少なくとも制作には関わっていた」
ということになりそうです。

『オルディネス』は「PCエンジン mini」に収録されたので、現在は結構遊びやすい状況になりました。miniにはPCエンジン版『R-TYPE』も収録されています。

非ハドソン販売作品ですが『暗黒伝説』のスタッフクレジットにもKYON KYONが出てきます。これは先のKYON KYONと同一人物なのでしょうか。『暗黒伝説』の発売は1990年9月7日、これはプロデュースの設立日である1990年4月6日から5ヶ月後となっています。

スタッフクレジットに
KYON KYON + 複数のプロデュース開発作品に関わっている人名
が出ている場合があります。例えば
『天外魔境 電脳絡繰格闘伝』(販売はハドソン)
の場合、
『ミスティックアーク』(販売はエニックス)
にも関わった
平井隆之さん、小沢一成さん
が出ています。
『ミスティックアーク』はエニックス販売なので、平井さん及び小沢さんはハドソン社員ではない≒プロデュース社員ではないかと推察されます(*フリー等の契約の可能性もあります)。
複数のプロディース社作品で名前が出てくるKYON KYON=今田さんではないか、という可能性は感じられます。

『スーパーボンバーマン』の12のエンドクレジットにはKYON KYONが存在するのですが、4ではKYON KYONが存在せずに今田真二さんが出てきます。変名をやめて本名を出すことにした? or 出せることになった?


Wikipediaの『高橋名人の大冒険島』のページを見ていて気が付いたことがあります。
このゲームの音楽を古代祐三さんが担当したのはワリと有名ですが、ストーリーがウエストン社の社長であった西澤龍一さん、スーパーバイザーがウエストンとなっています。
つまり『高橋名人の大冒険島』は『高橋名人の冒険島』のオリジナルである『ワンダーボーイ』の開発を行ったウエストン(旧エスケイプ社)が関わっていたのでした。

ストーリーは西澤龍一さん
ディレクターは前述のKYON KYON、スーパーバイザーはウエストン(クオリティチェック担当?)

ということを知った直後、散歩がてら行ったブックオフで『高橋名人の大冒険島』を見つけて購入したのでした。

あとこの西沢龍一さんのインタビュー(2021年公開)は面白いです。必読。

20歳の若さでヒットを飛ばし独立するも、社長業に追われゲーム作りから離れてしまい、「一緒にゲームを作ろう」と志を共にした親友とも決別。ゲーム会社の社長なのに10年近くゲーム制作から逃げていたが、海外ファンからの熱いラブコールに押され、齢57にしてUnityもバリバリ使いこなし現場の第一線に復帰した開発者の話

20歳の若さでヒットを飛ばし独立するも、社長業に追われゲーム作りから離れてしまい、「一緒にゲームを作ろう」と志を共にした親友とも決別。ゲーム会社の社長なのに10年近くゲーム制作から逃げていたが、海外ファンからの熱いラブコールに押され、齢57にしてUnityもバリバリ使いこなし現場の第一線に復帰した開発者の話20歳の若さでヒットを飛ばし独立するも、社長業に追われゲーム作りから離れてしまい、「一緒にゲームを作ろう」と志を共にした親友とも決別。ゲーム会社の社長なのに10年近くゲーム制作から逃げていたが、海外ファンからの熱いラブコールに押され、齢57にしてUnityもバリバリ使いこなし現場の第一線に復帰した開発者の話 ファミコン以前のアーケード時代から第一線で活躍を続けると同時に、黎明期からゲーム開発会社の経営者として業界を戦い抜いてきた news.denfaminicogamer.jp

*2022/06/03追記
ゲーム批評』1996年2月号(Vol.7)に今田真二さんのインタビューが掲載されていると知ったので確認してみました。

SPECIAL INTERVIEW
「ミスティックアーク」プランナー兼ディレクター
今田真二氏インタビュー

「ゲーム」として遊べるRPGを作りたい。

良質な内容で確実な評価を得た、『ミスティックアーク』。そのまとめ役を務められた今田氏にそのRPG感を聞く。

『ゲーム批評』1996年2月号(Vol.7)、p. 42-45
聞き手・構成 斎藤亜弓

として4ページのインタビューが掲載されていました。記事中アイレムや『R-TYPE』への言及は無いのですが、

(*編集部、斎藤亜弓さん):今まで一番心に残っている作品は何ですか?
(*今田さん):「グラディウス」です。
(中略)
:ではその魅力は?
:完成度の高さです。細部にこだわっているというか。「グラディウス」に関しては、ちょっとしたことでも考え抜かれているように感じます。そういった部分は大きいですよね。

『ゲーム批評』1996年2月号(Vol.7)、p. 43

ということで『グラディウス』への言及はありました。『ゲーメスト』での『R-TYPE』開発メンバーインタビューでも、今田さんにとって『グラディウス』の影響が大きかったことが伺えます。

ぜんじ(*石井ぜんじさん) グラディウスとかは意識されたんですか?
ABIKO(*今田さん) そうですね。同じ横スクロールということでかなり意識しました。
(中略)
ABIKO (中略)パワーアップなんかもほとんど変わっています。初めは、ありきたりに3方向にとぶとかだったんですが、そのままじゃグラディウスとたいして変わらないということで、苦しまぎれに反射させてみようということで、反射レーザーとかができました。あれは苦しまぎれです。(爆笑)
(中略)
ぜんじ どんな面が最初に作られたんですか?
ABIKO 1番最初は1面です。グラディウスのイメージが少しありますね。

『ゲーメスト』1987年12月号(No.15)、p. 10-11

ちなみに岡本吉起さんも
コナミの名作「グラディウス」を語る!FC移植版の出来は?アーケード基板「バブルシステム」の弱点とは?

で『グラディウス』と、同シリーズのプランナー兼ディレクターだった町口浩康さんを褒め称えています。この動画を見るまで知りませんでしたが、町口さんは岡本さんや藤原得郎さんとコナミで同期だったそうです。

あと私は今田さんがRPGを/も作りたいからアイレムを辞めプロデュース社を設立したと想像していたのですが(*今田さんが担当した作品の傾向からあくまで私が想像したということです)

:(中略)実は、僕自身RPGは得意な方じゃないんです(笑)。
:すごく意外ですね。
:最後まで終わらせた作品というのは、やっぱり「ドラゴンクエスト」(以下DQ)しかないんですよ。

『ゲーム批評』1996年2月号(Vol.7)、p. 43

だそうです。


最後に。
上記『ゲーム批評』インタビューで聞き手・構成を担当している斎藤亜弓さん(インタビュー実施時点で『ゲーム批評』副編集長)のコミックスが出ていたことを知りました。『ゲーム批評』での『悪趣味ゲーム紀行』等の漫画やイラストがヤケに手慣れていたのにも納得です。

(『悪趣味ゲーム紀行』は3まで出ていますが、3で斎藤さんは絵を描いていません/『ゲーム批評』増刊号のThunderに掲載されている『悪趣味ゲーム紀行』は斎藤さんが描いています)

斎藤さんは2022年現在もお元気そうでなによりです。漫画描いて本/雑誌等の編集して複数誌で編集長も経験して、プロダクトのプロデュースをしてショップの経営もする。非常に多才でパワフルです。

『ラブハグブライス』の制作協力者、「スタジオウー」のインタビューをお届けします!

現在今田さんがどうされているかはわかりませんが、斎藤さんのように元気で、どこかでご活躍されていることを願っております。

【了】

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