対ロマンからの逆転いかに

どんな時だって私は理想の私に支えられて生きている。

常に私の理想像が頭の中にあって、それを演じることによって、現実を間接的に受け入れている。

寂しいとき、寂しいと言えなかった。満たされてる自分を演じることに必死になった。

寂しさを悟られそうになったとき、寂しい自分に溺れてるだけで本当は満たされてる自分を演じることに必死になった。

美しいロマンを追い求めていたはずなのに、汚いロマンに溺れているみたいだ。

悲劇のヒロインのフリをしているこじれ一般人の末路。でも大丈夫。ちゃんと「それはそれでロマンじゃん」って言い聞かせてるから。





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