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ぼやき

いま、とても文章が書きたい気分です。

デンマークに来て2ヶ月。やっと、やっと、自分にちょっとした変化が見られた気がする。

【自己肯定感、自信】

この言葉について語るとき、私は決まって泣きたくなる。
いつだって、
ーー自己肯定感を高められたらどれだけ毎日楽しいんだろう、自信がついたら、どれだけ見える世界が変わるのだろう。
そんなことを考える。そして、そのために努力していない自分という存在に、また嫌気がさす。そして、この自己嫌悪に浸ることが自分のなかで簡単なことだとわかっているから、この苦しみさえも妥協だと心が蝕まれる。
その繰り返し。

でも、この朝から晩まで一緒の共同生活で、ああ、何かこの時間、この人、愛しいなって思う瞬間が生まれてきたんだ。
朝歌った曲を皆がハミングしていること、トイレでドアを引くのと押すのがドアを挟んで一緒にやっちゃって二人して驚くこと、眠い目こすりながらおはよーーって挨拶すること、友達がプレゼンしているのを見て、がんばれーって思うこと、朝のシャワーで太陽の光が水に反射してゆらめくこと、キャンドルの光に照らされた涙が美しいこと、コーヒーの湯気の存在に気がつけたこと、つまらないおやじギャグにつまらないと笑うこと。人を価値で判断しなくなった自分に気がついた瞬間。最初あんま一緒にいたくないかもと思ってしまっていた人を、愛しいと感じた瞬間。

ひとと食べるごはんが美味しくて、ハグがどれだけ心を柔らかくして、肩を組むことと、離れるときのとんとん、が自分に勇気を与えてくれること。暗闇のなか一人で歩くのはめちゃめちゃ怖くても誰かといれば怖くないこと。

変な話だけど、別に私が喋らなくったって、価値がなくたって、長い時間を共にするってだけでうまれる愛があるんだって、そんな小さく見えることでも愛ってうまれるんだって思ったら、こんな私でも愛される余地があるんだと思った。

今まで、ありのままの自分を出して愛される、というのは、ありのままのその人が愛される価値があり、愛されるべき存在であるからだと思っていたけど、そうでなくても愛される余地あるんだって思った瞬間、ふーーって楽になった。なんだか自信がついた。

自信を持つためには、勿論
今の自分を越えようとすること、そのための努力、妥協せず乗り越えた過去が必要だし大事だと思う。
けど、同じくらい、かそのベースに、自分はいつだって愛される余地のある人間だってわかってること、こんな自分でも愛される余地があるって思うことも大事なんだなって思った。
今までは、自分を変えるために努力するべきなのか、今の自分を受け止めるべきなのかわからない、と思っていたけど、今はこの2つが混ぜあったとき、自信が持てる気がするんだ。

何もせずとも愛される余地のある自分、っていうのに気がついた時、安心して努力してみようって思える。pushされるのではなくpullされて頑張ろう、頑張りたいと思える感覚。

これが普遍的なものなのか、私にとってなのかはわからないけど、大きな心情の変化。あれ、何か、デンマーク来て、フォルケ来て良かったかも。

気付かせてくれてありがとう。みんな。


めも。

セルフエスティームよりも、コンフィデンスよりも、セルフコンパッションという言葉を、幸せになるための要素として先生が持ち出したとき、不思議な感覚だったけど、何となく今はわかる気がするなあ。
人に優しくするためには、自分に優しくなければ、と思ったのだけどそれがなんでそう思ったかわすれちゃった。そこのとこちゃんとメモしておけたら、同じ悩みを持つ人の何か助けになれたかもしれないよなあ。大事大事。