疾走すること
あなたは「全力で走った」ことはあるか。
比喩ではなく、読んで字のごとく、自分の脚で、の意味だ。
もっと言えば、「風を切って」をつけ加えた意味ということにしたい。
たとえば、まさに自らが地面を蹴って、全力で。
自転車に乗って、全速力で。
バイクでも、競走馬でも。
「疾走」してみると分かること。それは
「風を切る自分と出会う」こと。
なぜだろう、「疾走」の間はいつも
心臓はくるしいのに
風景は残像としてただ後ろに流れていくのに
孤独なのに。
そうやって自分の頬が、手が脚が
全身のあらゆる部分が
「ああ、風を切っている」
と感じると、なぜだか
高揚感と、充実感で
そして
適切な量の幸福感で
私の身体が、心が
ふわっと
ふわふわ、と
包まれるのだ。
ああ、そうか、と、ふと感じる。
このために生きているのかな、みたいな
こういう瞬間のために。
疾走。
全速力で、駆け抜ける。
何も技は要らない。考えも要らない。
それが与えてくれる不思議なギフトの存在は
疾走したものでなければ
永遠に気づかない。
sao
ありがとうございます!幸せな表現ができるよう精進します*.。*