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出発点 遥かなる物流の道へ

私が40年前に就職した会社は卸の営業会社で、物流部門は分社化されていました。そう、物流子会社というやつです。私は10年間営業職だったのですがその後その物流子会社に出向となりました。希望の職種ではなかったし、その時代は物流部門への配属は左遷感で満ちていました。
 
「小林君、これ間違えて入ってたでえ」
「あっ、すみません。気を付けます」

私は商品を入れるべきカゴを間違えて隣のカゴに入れていた。
配分ミスと呼ばれる作業ミスだった。

その先輩は私を怒るのではなく又、叱るのでもない口調で私のミスを指摘した。だからなのか私はいつもより自然に「すみません」と謝まれた。それは、昼食後の時間帯で私はその単純作業に飽き飽きし、ついウトウトしていた。その時にミスは発生したのだ。

その日、帰りの電車で偶然その先輩と同じ車両に乗り合わせた。

「お疲れ」
「あっ、お疲れさまです。今日はすみませんでした」
「ミスったのはいいけど、なんでミスったか考えなあかんでぇ(笑)」
「あ~、はい!」

帰宅後、私はずうっと今日の出来事について考えた。夢にも出てきた先輩の言葉「なんでミスったか考えなあかんで」・・・

それ以降、私は何かあったらその先輩に相談するようになっていました。
私は先輩との会話を重ねるうちに、最初は嫌いだった物流業務に興味を持ち始めていました。

「小林君、俺は空気みたいな物流を目指してんねん」
「・・・」
「人は普段、空気のことなんか考えながら生きてへんやろ。せやけど空気がが無かったら人は生きていかれへんやろ。あって当たり前、100%が当たり前なんや、物流もそれと一緒や、100%やって当たり前で1回でもミスったら営業からボロカスに言われるやろ(笑)」

私は共感し、物流がだんだん好きになっていった。

そんな頃、社内で京都に新しく物流センターを作るという話が持ち上がった。そのセンターはグループの小売部門(多店舗展開)のバックヤード的存在として企画された。計画が決定となり、例の先輩がセンター長に任命された。先輩は私も新センター立ち上げのメンバーの一人に指名してくれた。

嬉しかった。頑張るぞ。

新センターは小売物流ということもあり、全く新しいシステムで動かすことになり、それこそ、一から手作り状態でのスタートなった。保管棚、ロケーション設定、値札の発行方法、ピッキングリスト、配分リスト、全て一から作った。

そして32才の私は,この時から終わりのない物流の道を歩き始めるのでした。

 (乱文御免)


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