目を開けてお祈りを 第5話
中学三年生になった。四月中旬のホームルームでのこと。
「分かってると思うけど」
担任の先生は生徒たちを見回す。
「この一年間のテストの成績が、高校のクラス分けに影響するからね」
付属高校は五つのコースに分かれている。中でも人気なのが英語コースと理数コースで、学校もその二つに力を入れていた。英語コースなんか英語の科目が五種類あるのだ、気が遠くなりそう。
私は理数コースのほうが気になっていた。数学が圧倒的に得意だったから。答えが一つというのは分かりがいい。英語とは大違い。
「だから理数コースにしようと思う」
その日の夕飯、リビングで私は何気なく両親に話をした。
「ダメだ」
えっ。私の背中がこわばる。おずおずと父の顔を見た。いつも以上に険しい。
「ここに進学させたのは、英語で有名だからなんだぞ。理系なんて行ってどうするんだ。数学なんていつでもできる」
「そりゃそうだけど」
「とにかくこの話は終わり。英語コースに行かないなら、学費は出さないからな」
父は言い放った。こうなるともう何も聞き入れてくれない。
助けてほしくて、チラリと母を見る。しかし(仕方ないよね。パパの言うことを聞いておきなさい)とでも言いたげに微笑んでいた。そんな。でもこれ以上は喧嘩にしかならない。私は仕方なく、冷めた野菜炒めを口にした。
次の日、むくみ切った顔のまま通学した。泣いたわけじゃないのに。ブスッとしたまま朝のホームルームにでる。
「来週だけど」
先生は書類を読み上げる。
「英語礼拝の担当がこのクラスにも回ってきました。誰が出るか帰りのホームルームで決めるから、やりたい人は考えといて」
学校では英語礼拝があった。生徒が司会進行を英語でし、ネイティブの先生が英語で二十分話をする。活動アピールにもなるので、英語コースの希望者がこぞって応募すると思われた。しかし、周りを見ると微妙な顔。
「みんな応募しないのかな」
「アンタは忘れてるかもだけど」
昼休み、マナはジトっと私を見た。
「今度文法のテストでしょ。そっちのが大事だよ」
「ゲッ」
カエルみたいな声が出る。
「再テスト呼ばれないようにね〜」
英語志望のマナは悠々と、でも油断は禁物というように、参考書を取り出した。
「何やれば赤点取らないと思う?」
「そんなこと考える前に暗記しな」
憎まれ口を叩かれながら、私はカバンの中にテスト案内の紙が残ってないか探した。そのとき、教室に見慣れない黒い人影が現れた。
「お昼どきにごめんね」
あの人だ。そのとき私は牧師先生がいるにも関わらず、間抜けな顔をしてたに違いない。心なしか爽やかな風まで教室に吹いてきた気がする。急にイケメンがやってきたからだろう、クラスのみんなはピタリとお喋りを止めた。
「英語の関連資料を持ってきました。教室の掲示板に貼っておきます。担当になった人は私との事前練習があるので、安心してください。では失礼するね」
ありがとうございま〜す…、と私たちはまばらに返事をした。
「あの人ミステリアスでかっこいいよね」
「先生と練習できるなら、やっても良いかも」
教室が色めき立つ。さすがに彼のファンは私だけではなかったらしい。結局、一日終わりのホームルームでは私を含め数人が立候補した。他のファンはテスト前だからと冷静になったのだろう。
「何人かいるみたいだな」
担任の先生はあみだくじで絞り込みを始めた。執念のせいか、私は牧師先生と関わる機会を掴むことができた。
「サナエ、文法の補習確実になったね」
「勝手に決めないで」
マナにはそう言ったけど、彼女の言う通りだと思った。練習が待ち遠しくて全然勉強に集中できなかったから。
二日後、練習のために別のクラスの教室に入った。待っていたのは牧師先生と、厳しくて有名な英語の先生だった。(ゲッ!)気持ちは顔に出てたと思う。私の英語の成績は、この先生にはバレていたから。
「あら、文法のテスト準備は大丈夫なのかしら?」
「ど、努力しま~す…」
うう、牧師先生の前でカッコ悪い姿を見せるだなんて。
「まあ、彼女は発音は問題ないんでしょう?原稿が読めれば大丈夫ですよ、暗記の必要はないし」
牧師先生は助け舟を出した。
「今日はネイティブの先生が選んだ聖書の箇所について話しますね。今回は詩篇 一〇七章 九節『主は乾く魂に水を与え、飢えた魂を良いもので満たされる』」
彼はサクサクと説明する。私をかばったのは練習を滞りなく進めるためだけだったらしい。
説明は、聖書の教えに従えば祝福と豊作が与えられるということ、ネイティブの先生は飢餓に関するボランティアについて話す、ということだった。私は彼の低い弦楽器のような声のみに聞き入っていた。
「では説明はこれで。後半の英語練習、頑張ってください」
そう言うと牧師先生は教室を出た。えっ。改めてプリントを見ると、彼と話せるのは前半だけだった。騙されたあ…。
「では」
英語の先生の眼光が鋭くなる。
「原稿をみっちり読み込んでいただきますよ?」
後半はまるで英語の授業のようだった。しかも厳しめの。原稿の英語構文は、文法は、などの質問を矢継ぎ早にされ、ほとんど答えられなかった。彼女のため息を何度聞いたことだろう。最後には、
「最低限、詰まらず読めるようになってくださいよ」
と、発音練習を喉が枯れるまでやった。
司会当日の早朝、私は礼拝の準備のためチャペルに入った。ネイティブの先生、英語の先生、あの人が舞台に立っている。ネイティブの先生は、
「Good morning~!」
と、けだるい頭に響く大きな声で挨拶し、力強く握手してきた。私はあの人と握手したいのに。と思う間もなく、礼拝の時間になった。
中学の全生徒がチャペルに入ってくる。待って、こんなに沢山の人の前で喋ったことなんてない。自分で立候補したのに、こんなに緊張するなんて。
スパルタ練習も虚しく、つっかえながらの司会進行だった。原稿があるのにセリフも飛ぶ。クラスメイトはくすくす笑っていた。うるせぇ。
終わった頃には力尽きていた。抜け殻のようになったまま、三人の先生にお礼を言い、教室に帰ろうとする。
「お疲れ様」
低い、素敵な声が私の背中に響いた。私はハッと振り向く。
「緊張してたんでしょう。その割にはよくやったと思いますよ。また機会はあるから、ぜひ応募してね」
「あ、ありがとうございます」
「そうだ、頑張った人にはご褒美をあげないとね」
え、ご褒美!?
とワタワタしてる間に、彼は聖書から一つのしおりを引き抜く。私に手渡すと、すぐに職員室に戻っていった。
しおりには、
「主を恐れることは知識のはじめ 箴言 一章七節」
と聖書のことばが書かれていた。勉強を頑張れということかしら。連絡先とかは書いてないのかー、とヨコシマなことを考える。でも好きな人に何かをもらうのは嬉しかった。神様には興味ないけど、先生の気まぐれは私の宝物になった。
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