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英語で執筆してみたが。


ここ最近、英語で執筆する、ということにトライしていた。

きっかけは、上に添付の、りなるさんのこのnoteを拝見したから。 Mediumというnoteに似た海外サイトついての紹介と、英語で執筆することをオススメしてくれている。

このサイトは、音楽やアート、テクノロジーなど、カテゴリーごとに記事を探せるのがいい。楽しそうだし、興味があったので、アカウントを取得して、サイト内を見てまわった。

しかし、いざ執筆する段階になって、ちょっとした誤算が生じた。執筆自体は楽しかったのだが、書き上げる、ということができなかったのだ。

時間を確保して取り組めばできるだろう。けれど今の私には、それはいきなりランニングを始めるようなもの。継続して書き続けていくためには、もう少し実力をつけることが必要だった。

また執筆するにあたって、おもわぬ落とし穴となったのが、書き方だった。

私は普段執筆するとき、箇条書きなどはせず、一から書きだしている。事前にある程度、書きたいことの洗い出しもするけれど、基本、一気に書き上げて、そこから修正をするという形である。

ただ、英語でそれをしようとすると、めちゃくちゃ時間がかかる。ふだん仕事でも、基本的に日本語からの英訳ではなく、一から英語で書いているのだが、あくまで仕事なので「簡潔に」「わかりやすく」書くことになる。

いわゆるパーソナルタッチ、つまり温かみのある一言などは添えるが、「自分の感情の動き」「結論にいたった経緯」など、感情の余白というかそういったものは、仕事では最低限にとどめている。

一方原稿を執筆する場合、これらは必要不可欠な要素だ。そういったものを英語で表現することには、慣れていなかった。

書きなれていないということは「時間がかかる」ということである。時間がかかるということは「手間や負荷が多い」「手をつけにくくなる」ということ。

書くのに億劫になっているうちに、書きたいと思っていたエピソードは色あせ、おもしろ味がなくなり、わくわくした気持ちで書けなくなる。

もちろん、感情の余白に関する表現を学ぶことも、英語の勉強になる。しかし、それによって原稿を書く気がしぼんでしまうのでは、元も子もない。

ひとまず英語の原稿のかわりとして、英語のtweetをすることにした。今のところ、英語でtweetしてから、日本語で同じような内容をつぶやいている。

日本語から英語に訳してもいいのだが、そのまま訳すと、日本語のリズムが不自然に英語に反映されてしまうので、それを修正するという作業が生まれる。

先に英語で作ってしまって、日本語のリズムに直すほうが、楽なのだ。日→英のトレーニングも有益ではあるのだが、いまは継続して英語のtweetができる、ということの方が大事。


ただ、そうこうしているうちに、英検まであと40日を切ってしまった。えーん。

日常生活に英語を取り入れることは楽しいし、勉強になるが、一番大事なのは試験勉強である。体調第一なので無理はしないが、悔いのないよう努力しよう。

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