「女王陛下のお気に入り」を観てきました。

#女王陛下のお気に入り#映画 館で観てきました。
手放しで「面白い!」という映画というより、「…面白い」という作品。
嫉妬とは、上昇志向とは、友情とは…。

以下ネタバレあります。

映画を観た後もしみじみ、
「私は今、高みを目指しているけれども、何のために、どのように上に行きたいのか、考えなければ」
と思いました。

結末は、いい意味ですっきりしない締め方で。
どちらの侍女も、刺し違えたようなものだけど、負けた方は
「もう戦わなくてもいい、全て終わった」
という表情をしていた。
一番傷ついたのは女王陛下だけども、きっかけは彼女ではないのかもしれないけれど、彼女もわざと二人をけしかけ、自ら弄ばれにいった。

女王陛下は政治に興味が無く、ただただ人生を悲観していて、産まれた子供を皆亡くすという、悲観するにふさわしい過去はあるにせよ、ただの泣き虫の子供のよう。
自分を見て欲しい、構って欲しい、という気持ちばかり。
その気持ちに身を委ねたばかりに、大切な友情が壊れてしまう。

サラ、アビゲイル、アン女王。3人ともお互いを利用し合い、出し抜きあっていた。
女王陛下の愛を取り合い、女王陛下は二人の愛を我が物にしようとして。
愛されたいって思うことは、そんなに悪いことなのかしら。
でも愛を得られる人は、愛を与えられる人だけな気がした。

世の中には正解なんかなくて、事実と自分の意思だけがあり、
自分がこう、と思えばその通りになってしまう気がする。
そしてまた、無理矢理思い込もうとしても、違和感はその度に明確になる。
私は
「世界で私が一番」
と思い込もうとしている時がある。
確かに、その通りだと思う瞬間はあるけど、
「私の思う世界一の人」
の振る舞いから外れ出すと、少しずつ違和感が明確になってくる。
驕り高ぶると、足元をすくわれるのだな、とこの映画を観て思いました。

と…ここまで書いてきたけど、
最近
「君の報告書は『こういうことがあった、すごかった』だけしか書いてない。何ですごいと思ったか、すごいと思ったことによってこれからどうしていくか、も書きなさい。」
と上司に言われたことを思い出した。
ん〜今回だと
「面白いと思って観に行った、モヤモヤしてすごかった」
ではなく
「愛を求めすぎると足元をすくわれるのでは、というメッセージを受け取ってモヤモヤした。私も愛を得るために愛を与えていく。」といったところかしら。
もっと明確にしていく必要があるけれど。
とても面白い映画でした。良き良き。

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