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塾をサボって映画館に行った日

親に嘘ついて映画に行ったのはそれが初めてだった。

6月、梅雨入り前の生ぬるい季節だった。その年は丁度受験で、家でも学校でも、なんだか空気がピリピリしていた。そのころ私は、少し早い受験をして、不合格通知を受け取った所だった。速達郵便で、小さな茶色い封筒が届いた時点で、結果を察した。その試験に向けて、できることはしていた。けれどプレッシャーが強すぎた。それを言い訳に、ちゃんと準備ができていなかった。

家族は、落胆する私に、どう接したら良いのかわからないようだった。私を励まそうと、いろんなことをしてくれた。けれど、私を想ってしてくれる行動が、全て、私が求めるものでは無かった。

例えば母は、欲しくもない、書きにく過ぎる、ラメでコーティングされたギラギラのシャーペンをプレゼントしてきたり、行ったことのない神社のお守りをくれた。ママ友の前で、私を褒めるために他人を下げる口調をうっかりして、場を凍らせたりもした。

全部全部して欲しくないことだった。でも私を想ってのことなのは分かっていた。その気遣いだけ受け取って、感謝を伝えることが、スマートで家族関係に波風の立たない振る舞いなんだろうなと思っていた。また、「これはして欲しくない」という気持ちも、やんわり伝えたほうが良いのは分かっていた。

けれど、そのときはどのように自分の気持ちを伝えたらいいか分からなかった。素直に行動するには、心がトゲトゲしすぎていた。結局、気持ちをため込んでため込んで、「こんなの欲しくない!迷惑!」と泣き叫ぶことしかできなかった。

勉強に集中できないのも嫌だった。参考書を見ても、何も頭に入ってこない。小学生の頃に買ってもらった勉強机の前で、ただノートと参考書を見つめているだけ。うさぎの目覚まし時計が、カチ、カチ、と時を刻む音が、イヤに部屋に響く。私の心は、爆発寸前の真っ赤な風船みたいに張り詰めていた。全く余裕が無かった。私に必要なのは休息だった。たいして勉強できてないくせに、心はヨレヨレだった。

そのころ、新海誠の「言の葉の庭」が電車のつり革などで宣伝されていた。雨のしずくで飾られた植物園の木々の美しい緑が、私を癒した。その映画が観たくて仕方がなかった。カラッカラに乾いた私の心には、その作品を観ることが、光り輝くオアシスに行くことを意味していた。

けれど受験生が遊びに出かけるなんて、後ろめたいことなんじゃないか。そんな不安が、雨雲のように頭の中に立ち込めた。その頃の私は、息抜きの大切さをわかっていなかった。メリハリをつけて勉強する、ということが苦手だった。けれど、その作品は、私を誘惑し続けた。けれど親に「映画を観に行きたい」なんて言ったら、どう思われるだろう。不合格というカッコ悪い姿を見せたばかりなのに。親は私を責めるかな、応援してくれなくなっちゃったりするかな。そんな私の頭に、一つの答えが降りてきた。

一人で黙って映画に行けばいいのだ。

塾に出かけて行ったことにすればいい。私は映画を楽しめる、家族は傷つかない、何もかも丸く収まる!正直、こんなこと、他の人には大したことのない発見だろうと思う。けれど、当時の私の脳みそが、それを思いつくことは、めちゃくちゃ凄いことだったのだ。

私は、どんなルールもクソ真面目に守る性格だった。例えば田舎のひとっ子1人いない横断歩道でも、赤信号を守ったり。黙っておけばいいのに、学校のテストで先生が間違えてマルにした問題を先生に申告して、自分の点を減らしたり。そんな私が塾をサボるなんて、だれが思うだろう。この作戦に、私の心は感動と不安でブルブル震えていた。そして数日後、私は作戦を決行することにした。


決戦の日、私は何食わぬ顔で目覚め、家族に朝の挨拶をし、朝食を食べた。普段通りに過ごそうと努める。お茶がノドの変なところに入ってむせたり、箸を落としても、「えへへ」と笑ってやり過ごしたりして。そして、いつものようにカバンに参考書を詰めて、

「行ってきます!」

と家を出た。

「いってらっしゃい!今日も勉強頑張ってエライね」

と母に言われ、胸が痛んだ。すみません、ママ。案の定、母の目をちゃんと見れなかった。不自然な行動をしていたかも。けれど普段馬鹿正直な私には、ぎこちなく振る舞うのがやっとだった。

映画館には自転車で行った。梅雨が始まる直前の、生ぬるい湿った空気の中を走る。田植えをしたばかりの水が張られた田んぼを横目に、目的地にむかった。

映画館は近所のイオンにあった。建物の入り口で、不安げにフロアマップを確認する。後ろめたかったからだろう、他のお客さんが、不真面目な私を見張っているような気がした。そんなはずないのに。エレベーターで目的のボタンを押すのさえドキドキした。フロアに着いて道なりに進むと、映画館の自動ドアが空く。ポップコーンの香り。それに混じるカーペットの匂い。

私は、どきどきしながらカウンターでチケットを注文した。迷ったけれど、買った席は一番後ろのど真ん中。映画を見ている途中に、堂々と伸びができるし、人の邪魔になりにくいから。シアタールームの観客はまばらだった。新海誠作品が「君の名は。」で爆発的にヒットするのは、もっと後のことだった。

上映前の予告宣伝の再生がひと段落して、館内が真っ暗になる。その時、ちょっとだけ大人の仲間入りができた気がした。

映画では主に2人の登場人物がクローズアップされていた。靴職人を夢見る東京の高校生、タカオ。彼は雨の日は午前中、授業をさぼって都心の大きな公園の休憩所に行く。そこで靴の勉強、デッサンなどをしているよう。彼が履いている靴も、手製のものだ。その公園で一人の若い女性と出会う。スーツを着ていて、真面目そうな見た目。でも朝から公園に来て、缶ビールを飲んでいる。どうやら会社をサボっているようだ。2人はある時、何度か会話を交わした後、その女性は、

「また、雨がふったら(会おう)」

と言った。その日は関東の梅雨入り。雨が続く日々の中で、2人は毎日顔を合わせる。そして少しずつ関係を深め、惹かれ合っていく。

映画を見て、夢が叶う保証がなくてどこか鬱屈とした主人公に、自分の姿を重ねた。周りに自分の気持ちを伝えず、気持ちを吐き出すことをしない。そんなところにも、自分との共通点を感じた。けれど、主人公が靴職人という明確な夢をもっていることには激しく嫉妬してしまった。私は志望校しか決まっていなかったから。志望の大学や学部は絞れていても、それをどのように仕事に活かしたらいいのかなんて、考えても分からなかった。

でも、明確な夢を持っていてもいなくても、それを叶えられるかは別のことだ。努力し続けるしかない。主人公も、私も。

主人公が遅刻を理由に教師に叱られているカットが一瞬入って、ちょっぴりドキッとした。塾をさぼった私も叱られている気がして。一気に現実に引き戻される。緊張で、飲み物をストローで一気にすすった。けれど、雨の公園の場面で例の女性が、

「(人間なんて)みんな、どこかちょっとずつおかしいのよ」

と言っていて、塾をサボって映画に行っている私を、ちょっぴり安心させてくれた。

けれど女性が、出勤するために駅のホームで電車を待つシーンは、私を不安にさせた。駅のホームに電車がやってくる。女性は、他の乗客が電車に乗り込むなか、足をすくませ、ホームに佇んだままだ。そのシーンは、勉強が上手くいっているように見えるクラスメイトと、進路につまづいて途方にくれている私に見えて、胸が苦しかった。

途中、梅雨が明け、二人が会えない場面が続く。主人公は夏休み。バイトに明け暮れながら、専門学校に行くための資金を稼ぐ。靴職人になる夢を叶えるために。女性は、公園に足を運ぶも主人公に会えず、心の支えを失ったかのよう。

終盤、女性の正体がわかる。主人公は衝撃を受けつつも、別れを察し、彼女に想いを告げる。女性はそっと突き放すが、主人公は抱え込んでいた自分の気持ち、「なぜ正体を黙っていたのか」「子どもをからかって楽しんでたんじゃないか」「オレの気持ちなんてどうでもよかったんだ」と、そういった言葉をぶちまける。女性は「そうじゃない、あなたの存在に救われていたんだ」と涙ながらに告げる。女性は東京を離れることになるが、2人はお互いの気持ちを知り、想い合いながらそれぞれの生活を送っていく。

エンドロール中に秦基博の「Rain」(大江千里のカバー)が流れるのを聴きながら、ぼうっとしてしまった。初めて塾ををサボって映画を観た後、努めて何食わぬ顔で、家に帰った。サボったことはバレなかった。ほんの少しの罪悪感はあったけれど、大きな安らぎが私の心を包んでいた。その日から、雨の日に映画のことを思い出しては、ホッとした気持ちになった。

その映画は、起爆剤みたいに私をガリ勉にしたりはしなかった。でも、肩の力の抜き方や、勉強しながらでも、大切にしなければならないことー自分の気持ちを殺さないことなど、を教えてくれた気がする。映画を見た日から少しずつ、私は塾や学校だけで勉強して、家では程々にするようになった。案の定、妹なんかは、

「お姉ちゃん、あんまり勉強しなくなった…?」

と思っていたらしい。でも、上手く勉強と休憩のメリハリがついたのか、第2志望の大学には合格できた。とはいっても、前日に先生に質問したところが丸ごと試験に出たという奇跡の合格だったのだが。まあ、きちんと先生に質問できるレベルには努力できていたのかも、と自分をほめておこうと思う。

社会人になった今でも、たまに肩の力を抜くことを忘れることがある。そんなとき雨が降ると、

(あ、傘忘れてた、ヤダな)

と思う前に、あの映画のことを思い出してホッとできるのが、本当にありがたい。これからも、できるだけ肩の力を抜きながら、努力していこうと思う。

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