見出し画像

絵を描いて思い出したこと

最近絵を描いている。
下手の横好きというか。紙やペンなどの準備が手間なので、スマホのアプリで描いている。クレヨン風の質感が出るペン機能を好んで使う。楽しい。少し心が軽くなる。これは人に見せてもいいかな、というものはTwitter(X)に載せている。絵のほうが、文字だけの呟きより閲覧数が多い。自然なことだと思う。単純な言葉の連なりより、絵のほうが分かりがいいもの。

アイスがすぐ無くなって、その儚さに想いをはせる妹、の絵

高校のころ、美術部に属していた。私以外のほとんどは美大志望だった。友達は画塾という、絵を習いに行くための塾に通ったり。本人たちは大変だったろうけど、私は画塾に足を踏み入れたことがないから、憧れの気持ちが大きかった。けれど、美大に行った先輩や、美大志望の同級生の絵を見ると、とても私も美大に行きたいとは言えなかった。

美術の世界は憧れだった。
けれど、芸術を追い求める熱量が、圧倒的に足りないことが分かっていた。正直、怖気づいていたのだ。

大学受験をさほど気にしていなかった1、2年のころ、部活動をしていた美術室はとても落ち着く場所だった。顧問の先生はさほど校則に厳しくなく、お菓子もマンガも食べ放題読み放題。私は校則は守るタイプだったけれど、同級生たちと学食の自販機でジュースを買って、ひたすらだべっているのが心地よかった。みんなの飲み物を混ぜて、謎の茶色い液体を作り上げたりして。確かコーラもミルクティーも入れた。味は覚えてないけれど、まずいに決まっている。

夏休みは決まって、部室にこもって絵をかいていた。部室は他の教室と同じくらいの大きさだった。木の机と椅子、乾いた絵の具まみれの床。あちらこちらにデッサン用の石像の頭があった。表彰された先輩の作品も飾られている。私は団体行動は苦手だった。でも、部室では各々が好きなペースで絵を書いて、たまに休憩してしゃべって。集団で過ごしつつも、自分のリズムが崩されることがなくて、居心地がよかった。当時でさえ、あの空間が、かけがえのないものになると何となく予感していた。

毎年夏に、絵の展覧会があった。
大阪の中学高校がこぞって出展するコンテストだった。私たちは決まってその展示に応募していた。大きなトラックに、自分より大きなキャンバスやら粘土作品やらを詰め込んで。会場で自分たちで壁に釘を打ったりして設営をした。設営が終わると、他校の作品をみんなで見てまわる。若者のくすぶった自意識がそのまま表現された青臭いものもあれば、(これは本当に人間が創り上げたのか…!?)という大作まで、様々だった。

同級生の一人にもそんな子がいた。
(才能があるっていいよな)と、彼女の努力も知らずにクサクサいじけていた。ううん、知ってた。彼女が一番部室にいる時間が長いのは。努力できる彼女がうらやましくて、いじけていた。当時はそこまで、自分の気持ちを整理はできていなかったけれど。

今でも当時の仲間たちの様子はSNSで垣間見ることができる。
イラストレーターになった人。芸術とまったく関係ない仕事に就いたけれど、たまに展示を開く人、など。描き続けている人たちはすごいな、と遠くからまぶしく見つめてしまう。そんな私たちには、美術部だったという以外の、もう一つの共通点がある。

年賀状がお手製だということだ。
各々の作品が送られてくるのは、とても楽しい。時代もあって、紙ではなくSNS年賀の人もいるけど。

夏に絵をかいていて、ふと懐かしい記憶がよみがえった。
そういう話。


私をめちゃくちゃ喜ばせたいと思ったら、サポートいただけるとその通りになります🌸